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この国の文化を人権の
視点から編み変えよう
「解放新聞」(2004.07.19-2178)

 

 『太鼓・皮革の町・浪速部落の300年』を読んだ。本稿の主題である「部落の文化活動」を書くについて、何らかの示唆を与えてくれるかもと思って手にとってみたのだが、期待にたがわずそこにある二つの文章(浅居明彦「太鼓集団『怒』と文化活動」と渡邊実「『かわ』『皮』『皮革』」)がとりわけ心に残った。
 さて、部落の文化といえば「かわ」ないし太鼓ということにもなってくるのだが、先の二つの文章はその「かわ」(と太鼓)を通じて、人権文化の花を咲かせていこうとの主旨によっている。太鼓の演奏が人をどれだけ鼓舞するかについてはいまさらいうまでもないが、問題はそうした太鼓をものの見事に作ってみせる技術者たちに、今なお「差別の眼差し」が向けられているということなのだ。「自らの仕事にプライドを強くもっているのに、どうしても写真を撮らせない」というのだ。

 「この現実を部落差別そのものであるといわずして、何というのであろうか。…単に打ち手としての技量をあげるだけではなく、…作り手の職人さんにもスポットがあたるような活動をしていこう。そして部落差別がいかに不合理で、許すことのできない社会悪であるかを」訴えていこう。浅居さんはこう語っているのだが、実際これまでは楽器の演奏者ばかりに光があたって、楽器そのもの、とりわけ皮にかかわる楽器の製作者たちには一向に光があたって来なかったのだ。そればかりか、「そこに嘲笑の唾まで吐きかけられた呪はれの世の悪夢」さえあったのだが、その「産業的殉教者」が「人間の血」を胸底からほとばしらせるとき、そこに初めてたがいに「祝福し、祝福される関係」が立ち上がってくるのだ。

 何年か前、本紙上で猫皮三味線にかかわる諸問題を訴えてみたことがあった。歌舞伎や人形浄瑠璃等に用いられる猫皮のナメシに携わっている職人が、全国的にみてもわずか2~3人になってしまっているとともに、後継者難にも陥ってしまっている現状を訴えたのだが、その何よりもの関心は、猫皮なめしの職人たちが世間から「猫泥棒・猫殺し」とよばれて差別されている現状を、何とかして解決していきたいというところにあった。差別によって闇の中に封じ込められている職人たちを、たとえば国の「選定保存技術者」に指定されるよう働きかけていこうということでもあったが、いまなおそれは実現していない。どす黒い差別がそこにあることはいうまでもないが、実はそこにわが国の「文化のありよう」というとてつもなく深く大きな問題が横たわっていることにも、ぜひとも気付いていかなければならない。

 さて「部落の文化活動」というとき、それが「閉じられたもの」であってならないことはいうまでもない。太鼓作りにせよ三味線の皮なめしにせよ、はたまた徳島の辻本さんたちが復活させた「箱廻し、えびす舞」にせよ、元来それらはつねに外に向かって「開かれたもの」であった。そもそも外に向かって開かれていなければ、それ自体文化としては成立していなかったはずだ。
 にもかかわらず、それさえも閉じられたもののようにして、われわれ部落民自身が思いこんでしまってはいないか。もしそうなら、われわれ自身がみずからを開き、解放していかなければならない。文化活動とは何であれそのためにあるのであって、この国の文化を人権の視点から編み変えていくためにこそあるのだ。
 「部落の文化」を外に向かって胸張って発信していこう。解放はその先にある。


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