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狭山再審実現へ各地で草の根の
とりくみをさらに広げていこう
「解放新聞」(2005.9.19-2236)

 最高裁第1小法廷による3月16日付の特別抗告棄却決定をふくめて、この間の狭山事件の裁判では、無実の人を誤判から救済するという再審制度の理念を具体化するための手続き的な保障がまったくなされていない。
 まず、弁護側が提出した新証拠、とくに専門家による科学的な鑑定について、まったく事実調べがなされていない。そもそも、裁判官は鑑定の専門家ではないのであるから、鑑定人尋問によって専門家の意見を聞くのは当然である。実際に鑑定人尋問や現場検証などの事実調べは、ほとんどの再審請求の審理でおこなわれている。先日、再審開始決定が出された名張事件でも名古屋高裁は鑑定人尋問をおこなっている。
 ところが、狭山事件では、19年におよんだ第2次再審請求でも、元警察鑑識課員の斎藤保・指紋鑑定士の5通の鑑定書、19通の筆跡鑑定書、3次元スキャナを用いた足跡鑑定など多数の鑑定書を弁護団は提出したが、一度の事実調べもなされなかった。
 たとえば、斎藤鑑定は、犯人の残した封筒を分析し、筆記用具として万年筆が使われていることを指摘した。ところが、最高裁の棄却決定は、「肉眼で観察しても別の筆記用具とは認め難い」「現物を観察しても判然としない」などと弁護側に反論の機会も与えず、裁判所の「彗土的な証拠調べ」で専門家の指摘をしりぞけている。一方的に証拠を見て判断するのではなく、鑑定人の尋問をおこなって、説明を聞くのが当然だ。
 再審制度は、どこの国でも、無実の人を誤判・えん罪から救済するためにある人権擁護のための制度である。こうした再審制度の理念からしても、証拠提出を義務付けている再審請求の規則からしても、弁護側から出された証拠の事実調べは当然であろう。
 棄却決定はまた、筆跡鑑定の鑑定人尋問もおこなわず、「字を書けない者も重要な文書では漢字を多用する」「字を書き慣れない者でも数回の書き損じをへれば筆勢が現れる」などと、みずから鑑定人のように、独断的な見解を一方的にもち出して、弁護側鑑定を否定している。非識字者の実態や差別の現実にたいする裁判官の無理解、人権感覚の無さを示しているが、棄却決定のようなやりかたでは反論もできない。これは、だれが見ても不公平である。こうしたやりかたが認められるならば、鑑定人などいらないし、裁判官は何でも一方的に決めつけ、可能性で有罪の認定をすることができることになってしまうではないか。これは刑事裁判をゆがめてしまう。事実調べは不可欠なのである。

 弁護側が求めたにもかかわらず証灘開示がまったくおこなわれなかったことも同様に再審制度の理念をふみにじるものである。現行の再審制度は、新証拠発見を再審開始の要件としている。再審開始の要件となる可能性のある、検察官手持ちの証拠資料を弁護側に開示しないことは再審制度の趣旨に反している。弁護側の防御権を十分保障することを規定した国際人権B規約からしても、検察官手持ち証拠の全面開示は当然である。えん罪が明らかになった多くの再審無罪事例が示すように、経験的にいっても証拠開示は誤判救済のために重要であり、不可欠である。
 ところが、狭山事件では、東京高検の検察官の手元に積み上げると2~3メートルもの手持ち証拠があるにもかかわらず、この間まったく証拠開示がおこなわれていない。証拠のリストさえ開示されていない。このような事態を認めるならば、誤判から無実の人を救済する道は閉ざされてしまうことは明らかだ。
 さらに、特別抗告棄却決定は、弁護側が提出した多くの新証拠を「不適法」としてしりぞけている。第1次再審請求で出されたものは、同一の再審理由による再審請求を禁止した刑事訴訟法四四七条二項に照らして不適法であるというのであるが、これについては、加藤老事件の再審開始決定(広島高裁・1976年)や免田事件の第6次再審請求の即時抗告審での再審開始決定(福岡高裁・1979年)など多くの判例で、「再審理由があるかどうかの判断は、出された新証拠と、確定判決で取り調べられた証拠および以前の再審請求で提出された証拠をあわせて総合的に判断しなければならない」とされている。最高裁の棄却決定は、この定着していたはずの再審の考え方を逆行させている。
 最高裁の棄却決定は、明らかに、従前の棄却決定の判断の「安定性」を優先させるという姿勢があらわれており、この点からも誤判救済の道をせばめるものとなっている。
 棄却決定は、石川さんの書いた上申書などと脅迫状との筆跡の違い、筆記能力の違いを「参考資料があったかどうか」の影響による違いと説明している。石川さんの自白によれば、自宅にあった妹の漫画雑誌『りぽん』からふりがなをたよりに漢字を拾い出して脅迫状を書いたというのである。棄却決定の根拠は自白だけであるが、脅迫状作成に関する石川さんの自白が不自然さや矛盾についてはまったく検討していない。棄却決定は自白全体の信用性を判断するということをせず、一方で、自白の一部をご都合主義的に引用しているのだ。最高裁の棄却決定は、自白依存、自白偏重を促進させるものだ。

 このような棄却決定の不当性は、この間も、誤認逮捕事件やえん罪事件はあとを断っていないという現実を考えれば、何としても正されねばならない。国会でもとりあげられた宇都宮での誤認逮捕事件では、昨年8月に逮捕され起訴された男性が論告求刑後に否認、その後、真犯人が判明し、今年3月に無罪となった。03年の鹿児島県議選の公職選挙法違反事件では、警察による人権無視の取り調べ、自白強要が問題となり、えん罪を訴えて裁判が闘われている。いずれも自白強要のやりかたや証拠隠しの問題は、狭山事件の場合と同じだ。
 こうした現在も変わっていない、えん罪事件の実態を見れば、誤判救済という再審制度の理念を確認し、再審請求の手続きでの弁護側の権利の保障、とくに証拠開示を受ける権利や事実調べの保障をどう具体化していくかを真剣に検討することこそ必要だ。ところが、今回の最高裁による狭山事件の特別抗告棄却決定は、ぎゃくに誤判救済の道を閉ざす、反動的なものとなっている。
 自白に出ていなくても指紋が付かないようにしたかも知れないなどといった棄却決定の可能性の論法は、市民のだれでも、えん罪にまきこまれたら救われない論法であり、さらに、自白偏重、書面だけの審理、調書裁判を推進させるものである。さらにいえば、「共謀罪」新設、警察権力の肥大化など危険な傾向に拍車をかけるものだ。特別抗告棄却決定は、市民の人権、司法の公正・公平さという点から見ても間違ったものである。
 抜き打ち的な棄却決定から6か月が経過する。5月には、はじめての実行委員会主催による市民集会がひらかれ、ジャーナリスト、文化人、労働組合、宗教者、住民の会など各界の人たちがアピールをおこなう幅広いとりくみとなった。この闘いの輪をさらに広げていこう。第3次再審請求の申し立ては、来年春ごろに予定されている。第3次再審闘争では、事実調べ・証拠開示を何としても実現するために、教宣活動や署名連動を全国各地で早急に展開する必要がある。そのためにも、最高裁・特別抗告棄却決定の理不尽さ、不正義を徹底して批判し、司法の不当性を暴きながら、闘いの体制、支援のネットワークを築こう。
 10月29、30日には狭山現地での討論集会と現地集会がおこなわれる。討論集会では、闘いをふりかえり、今後の課題について意見を出し合い徹底して議論する。この機会に現地調査もおこなってほしい。もう一度原点にかえって、狭山事件の真実を見つめなおし、第3次再審に向けた闘争体制を固めよう。

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