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部落問題資料室
NEWS & 主張
済州島4.3民衆抗争60周年
歴史的意味を問う

「解放新聞」(2008.04.21-2366)

 1948年に起こった済州島4.3民衆抗争は、朝鮮半島の南側の単独選挙目前に起こった抵抗運動。島民30万人中8万人が殺戮されるという悲惨な歴史だ。歴代韓国政府は「共産主義者の暴動」として真実を黙殺してきた。犠牲者を悼むとともに、歴史的意義を問う集会がひらかれた。

4.3は南北分断に抵抗して起こった

韓統連が大阪で集会
  済州島4.3民衆抗争60周年の集いが4月6日、大阪・生野区民センターでひらかれ、在日韓国・朝鮮人をはじめ、日本の朝鮮統一に連帯する人びとなど280人が参加した。主催は在日韓国民主統一連合。集会の名称は「済州4.3から6.15共同宣言、真の解放・統一済州島民衆抗争60周年の集い 在日同胞社会の和合を促進し、祖国の自主的平和統一を実現しよう」。
  主催者を代表して金政夫・韓統連議長が「統一を実現する過程で4.3民衆抗争の犠牲者の真の名誉復帰が果たされる。南北朝鮮の和解政策に反対してきた日本の政策を点検し、4.3の意味を問い返そう」とよぴかけた。
  1948年4月3日に韓国・済州島でおこった「4.3」抗争は朝鮮半島分断の分水嶺でもあった南側単独選挙に抗して、朝鮮半島の南端、済州島で起こった民衆抗争。島民30万人中8万人、4人に1人が虐殺されたという、悲惨な事件だ。
  韓国で長く続いた軍事独裁政権と引きつがれた反共政策のもと、4.3抗争は「ソ連の影響をうけた社会主義者たちの煽動による暴動」と宣伝され、事件を知る人、遺族も長いあいだ沈黙を強いられていた。済州島は美しい海に囲まれた面積1848平方キロの沖縄より小さい島。その島でおこったおびただしい殺戮について、真実に光があたるには時間が必要だった。
  36年間の日本による植民地政策からようやく解放された朝鮮の南半分を、当時日本の武装解除のために上陸したアメリカ軍が統治した。独立朝鮮の建国のために半島全域でさまざまなうねりが起こるなか、アメリカは東西冷戟の尖端地として、朝鮮半島を位置づけ、軍政をしいていく。その統治にたいして済州島だけでなく、各地で抵抗運動がおこっていた。アメリカは植民地時代に形成された暴力的な支配構造も復活させ、朝鮮半島の分断を主導していく。そのなかで起こったのが、済州島4.3抗争。「大韓民国を守るためなら、済州島を全道を焼き尽くしてもいい」という焦土作戦が展開され、島民殺戮に親日派の右翼を登用し、同族が同族を殺すという事態がつくり上げられた。
  金大中政権になって事件の真相を究明する「4.3特別法」が制定(99年)、03年10月には「国家権力による強硬な鎮圧によって、良民が犠牲になった」と、慮武鉉政権が政府としてはじめて公式謝罪した。
  しかし、済州島4.3抗争は、植民地支配、南北分断への抵抗の歴史として、十分な歴史的評価にはいたっていない。集会では4.3の歴史は2000年6月にピョンヤンで実現した「南北共同宣言」につながっており、いまも続いている課題であり、日本人との連帯が重要だとよぴかけた。


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