pagetop
部落問題資料室
NEWS & 主張
体験を語りつぐことの意味
長崎・浦上で原爆犠牲者追悼法要

「解放新聞」(2011.08.29-2532)

 【長崎】被爆から66年目の夏を迎えた長崎市浦上。すでに駅名にその名を残すのみとなった。縁町墓地は被爆と被差別部落の歴史を伝える場として守られてきた。被爆によって離散した人たちは長崎郷土親興会をつくり、毎年8月9日に追悼法要を主催してきた。今年は福島第一原子力発電所の事故で新たな放射能被害者が生み出された。体験を語りつぎ」との意味を新たにした夏となった。田上富久・長崎市長(代読)、清田昌助・九州ブロック副議長がそれぞれ来賓あいさつをした。追悼法要には支部・親興会を中心に九州ブロック各県のほか県外からの解放同盟関係者、長崎県、市関係者など120人が参列し、原爆投下の11時2分には市内にサイレンが鳴り響き、参列者が黙祷をささげるとともに、原爆被災者にたいして焼香した。
被爆と部落の歴史を伝える場として守られてきた欝墓地で
  この日、墓地の細い遍路にテントが張られた。例年ならば強い日射Lを避けるためのものだが、今年は朝から雨模様となった。平和祈念公園での中央式典にあわせるように開始された。
  あいさつした中村由一・長崎郷土親興会会長は、「浦上町は230年ほどの歴史をもつ山里村馬込郷といった。当時、240世帯909人がいた。そのときの犠牲者は即死が155人、1年以内の死亡者が281人、生死不明293人、生存者は180人だった。これまでの死者は709人。ピカドンとよばれて日常生活も差別を受けた。1945年に爆心地から2キロ以内の人に手渡された原爆手帳は隠された。それから12年後に原爆医療法ができたが2キロ以内の人への差別といじめ、ねたみが浴びせられた。1967年になって6キロまでの被爆者も医療法の対象になった。それにともなって、被爆者間の差別がなくなっていった。そして、ともに被爆者援護法を求める運動となっていった。原爆は人の心も変えた。被爆者が被爆者を差別することに反省し、わびる心から語り伝えていってほしいと思う。東日本大震災では逆らえない自然の力を見せつけられた。それをただみているだけではなく手をさしのべてほしい。被災地の人は(その手を)握りかえしてくる。私たちは原爆の真下で命を救ってもらったひとりだから、被災地の万がたの痛み、苦しみをわがこととして理解できる。いまの厳しさをともに感じとり、絆を結び直すことにより、これからの日本を再発見していきたい」とあいさつした。
戦争は最大の人権侵害
  つづいて、荒巻征・市民生活部長が田上市長の「慰霊のことば」を代読した。66年たったいまもなお、多くの被爆者が放射能の後障害と明日への不安に苦しんでいる。福島県では原子力発電所からの放射性物質の拡散であらたな被曝が発生、いわれなき差別を受ける事態になっている。このような時にこそ、人間が人間らしく尊厳を持って生きるための人権教育が重要であり、平和な明るい社会をつくるために尽力することが被爆都市に生きる私たちに課せられた責務でもあります。21世紀が真の意味での人権の世紀となるように世界平和と軍縮を世界に訴え、つぎの世代に語り継いでいく所存、とのべた。
  また、清田九州ブロック副議長は、「このような悲惨で壊滅的な打撃から、たちあがった長崎県連の壮絶な闘いと長崎郷土親興会に改めて心からの敬意を表したい。部落解放同盟は平和と人権、反核、反原発の運動にとりくんできた。先の東日本大震災での原発事故では、悲しい事であるけれど間違いでない事が証明された。戦争は最大の人権侵害であるとの認識のもと、その犠牲となった被爆犠牲者にたいしてできる限りの支援をしていきたい」と平和と人権確立社会の実現に向けた決意を霊前に捧げた。
  追悼法要では参列者が焼香をするとともに、福岡県古賀市から参列した子どもたちが、被爆犠牲者にたいして千羽鶴を奉納した。

「解放新聞」購読の申し込み先
解放新聞社 大阪市港区波除4丁目1-37 TEL 06-6581-8516/FAX 06-6581-8517
定 価:1部 8頁 115円/特別号(年1回 12頁 180円)
年ぎめ:1部(月3回発行)4320円(含特別号/送料別)
送 料: 年 1554円(1部購読の場合)