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「人権擁護法案」が会期延長された国会にかかっている。周知のように、この法案には、いくつかの重大な問題がある。一つは、国連総会で採択された「国内人権機関の地位に関する原則(パリ原則)」をふまえたものとなっていないという問題である。たとえば、新しく設置される人権委員会が法務省の外局となっていたり、事務局職員を委員会が独自に採用するのではなく法務省や法務局の職員が横滑りし、しかも人事交流をすることとなっていて、独立性がないという問題である。
もう一つは、メディアによる人権侵害が特別救済の対象とされているため、取材や報道の自由が不当に制約されかねないという問題である。また、わが同盟の正当な糾弾闘争が妨害されるおそれがある。
さらに重要な問題点として、人権委員会の実効性の問題とかかわって差別や人権侵害を防止するために明確な禁止がなされているかどうかという点がある。
この問題を考えるためには、このさい、「人権擁護法案」が提案されることとなってきた原点に戻って考察する必要がある。それは、なによりも部落差別の現実、とりわけ差別事件の現実をふまえる必要があるということである。
一九七五年十一月「『部落地名総鑑』差別事件」が発覚した。この事件にたいする究明活動のなかから、深刻な部落差別身元調査の実態や就職差別の実態が明らかになってきた。
また、一九八○年代に入って、各地で悪質な差別落書や差別投書が多発し、なかには「部落民を毒ガス室に入れて皆殺しにせよ」などと書かれているものまで含まれていた。
さらに、一九八三年には、福岡県で大蔵住宅差別ビラ配布事件が生起し、差別をした当事者が、関係方面の説得にもまったく耳を傾けず差別をしつづけるという事態がつづいたのである。
これら一連の悪質な差別事件を分析することのなかから、悪質な差別にたいする法的規制の必要性が指摘されてくることとなってきた。
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差別にたいする法的規制という問題は、実は、一九六五年八月に出された内閣同和対策審議会答申(「同対審答申」)のなかで、すでに指摘されていたのである。具体的には、答申の第三部「同和対策の具体案」の「5.人権問題に対する対策」で、差別にたいする法的規制の必要性が、人権擁護制度の抜本的な見直しとともに指摘されていたのである。
また、日本は一九七九年に「国際人権規約」、一九九五年十二月に「人種差別撤廃条約」を締結した。これらの条約には差別にたいする法的規制が盛りこまれていた。日本の条約の実施状況を審査した委員会勧告のなかにも、差別を禁止する法整備の必要性が指摘されていた。
悪質な部落差別事件の実態、「同対審答申」、「国際人権規約」や「人種差別撤廃条約」などをふまえ、一九八五年五月以降、「部落解放基本法」の制定を求めた国民運動が本格的に開始されたのである。「部落解放基本法案」には、悪質な差別にたいする法的規制と人権侵害にたいする効果的な救済を求める「規制・救済法的部分」が含まれていた。
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にもかかわらず、今日まで国のレベルでは差別にたいする法的規制をしてこなかった。このため、一九九八年六月には、「差別身元調査事件」が発覚した。一九九三年以降つづけられている大阪府岸和田市住民による差別看板掲示事件もいまだに解決していない。
インターネットを使った部落の所在地一覧の流布や「部落民を虐殺せよ」などとした差別扇動は、野放しのままである。
現在国会にかかっている「人権擁護法案」によって、これらの差別事件が防止されるのであろうか。
結論からいえば、部落差別にもとづく就職差別や『部落地名総鑑』に類する情報の流布や販売、大阪府岸和田市住民による差別看板掲示事件などは、「人権擁護法案」の第三条などによって禁止されることとなったといえよう。これは、一歩前進として評価できる。
しかしながら、差別の停止を求めた勧告や勧告の公表にもかかわらず差別をやめなかった場合の罰則がないという問題がある。
さらには、①部落差別身元調査②「部落民を虐殺せよ」といった集団にたいする差別扇動が、「人権擁護法案」では禁止されていないという問題がある。
実は、こうした問題は、民族差別、障害者差別、女性差別などにも存在している。
反差別国際運動日本委員会IMADR・JC)の主催で七月十八日、大阪の浪速人権文化センターでひらかれる第11回ヒューマンライツセミナーでは、それぞれの視点から日本での差別禁止法の必要性が論議される。
「人権擁護法案」は、継続審議になる可能性が濃厚となっているが、このさい、「パリ原則」「同対審答申」「部落解放基本法案」「国際人権規約」「人種差別撤廃条約」などをふまえた、真に差別の撤廃に役立つとともに国際的にも評価されるものとなるよう、抜本修正を求める世論を高める必要がある。
その点では、第11回ヒューマンライツセミナーは重要な意義がある。各都府県連、共闘関係からの積極的な参加をよびかける。