追悼集会で誓う
山上弁護士の意志継ぐ
「解放新聞」(2004.02.23-2158)
花に埋め尽くされたなかに、にっこりとほほえむ山上益朗・弁護士の遺影が置かれている。参列者全員が、1人ひとりの思いをこめながら、山上弁護士の遺影の前に花一輪をささげ、最後の別れを惜しんだ。昨年12月10日、病いと闘いながら、最後まで狭山再審に情熱を注いだ山上弁護士が逝去された。文化厚生会館闘争、矢田教育差別事件、小松島事件、松原パークレーン闘争、八鹿高校差別教育糾弾闘争、狭山闘争の弁護活動などで、糾弾権を認めさせ、無罪判決をかちとるなど、日本の人権状況を大きく切り拓いた。反差別、人権確立へ生涯をかけて闘い抜いた山上弁護士の足跡を偲び、遺志を受け継ごうと「故 山上益朗先生追悼集会」を中央本部、狭山弁護団の共催で、2月8日午後、大阪市内のエルおおさか(大阪府立労働センター)でおこなった。追悼集会は、山上弁護士の幅広い活動を反映し、各地、各界から500人が参加した。
組坂委員長ら8人が弔辞
追悼集会では組坂委員長、中山武敏・狭山弁護団主任弁護人はじめ8人の代表が弔辞をのべ、最後に参加者全員が献花した。
組坂委員長は弔辞のなかで、山上先生の熱意と闘いの魂をしっかり受け継いで、狭山再審闘争勝利の日を1日も早く実現させることが、ご苦労とご恩に報いる私たちのつとめ、と決意を示した。中山主任弁護人は、死の直前まで狭山再審実現のために補充書を執筆していた山上先生の遺志を受け継ぎ、特別抗告審での活動に全力でとりくむ、とあらためて決意を語った。石川一雄さんは、冤罪がはれたことを1日も早くご報告できるよう弁護団とともに闘う、とのべた。
遺族を代表して一男の山上貴弘さんは、追悼集会で父の満面笑顔の写真を見て、父の仕事はけっしてつらく厳しいものだけではなく、仕事のなかにも生きがいや大きな喜びをもっていたんだとつくづく思う、父の人生をかけた遺志がつぎの世代に受け継がれていくことを願ってやみません、とお礼の言葉を語った。
このほかに、高階貞男・大阪弁護士会会長、仙谷由人・衆議院議員、福島瑞穂・参議院議員、澤田脩・弁護士、伊藤眞矢・伊藤病院副院長が弔辞をささげた。
山上弁護士は1929年生まれ、64年に弁護士に、70年から狭山弁護団に。一貫して狭山闘争の中心軸として活動した。遺稿となっ
た補充書のメモの最後には
徹底的に考えること、考えて、考えて、考え抜くこと、これ最重要である。人間はそうだ「考える葦」だ
と書かれている。
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