『にんげん 羽音豊―鉱害闘争と部落解放運動』(福岡県人権研究所・羽音豊調査研究プロジェクト編)が4月に発刊された。これは、「一九五〇年代以降、筑豊―全国における鉱害闘争と部落解放運動の指導者である羽音豊について、2001年1月よりチームを組み、ほぼ2月に1回の割合で羽音豊氏より聞き取り、「羽音日記」を中心とする資料調査を行ってきた」成果にたち出版されたもの。おもに1940年代後半から1960年代の羽音さん(中央本部では中央執行委員、財務委員長、副委員長、顧問を歴任、福岡県連では書記長、委員長を務めた)の活動を描いている。
この本の出版記念祝賀会が4月29日午後、福岡市内のホテルでひらかれた。羽音さんは「私の運動のすべてを記すことによって、良し悪Lを論じていただければ、そして今後の解放運動の参考になればと願っています」と謝辞をのべた。
祝賀会では、翌日に82歳の誕生日を迎えることから、花束とケーキが贈られた。
また、多くの人たちからエピソードが語られた。とりわけ、商業紙の記者時代に知り合った人たちは、運動の欠点は大いに批判して結構、という度量、包容力をもった羽音さんの姿勢に共感したことを語った。
環境改善と教育軸に
羽音さんの鉱害闘争の原点は、父親がもつ農地に、当時の三井鉱山が勝手に井戸を掘り、水をくみ上げ鉱業用水につかっていることにたいする怒りだった。三井に単身乗り込み、その非を認めさせた。この行動は、鉱山会社による理不尽な、同じような被害を被っている農民に大きな勇気を与えた。
主張に正当性があり、一歩も引かない強い姿勢が全面的に非を認めさせたのだ。
多くの人たちの思いを胸に、命がけの闘いが続いた。あるときは暴力団を使って脅してきた。命を取るなら取ってみろと、白装束に身を包み、日本刀をもって炭坑の事務所に押しかけた。この行動に相手は肝を抜かして交渉のテーブルに着くようになった。
腹が決まったのは、鉱害問題でおばあちゃんがきて、その家を訪ねたときだった。鉱害で壁は崩れていた。おばあちゃんの願いを聞き、帰るときだった。ふと振り向くと、おばあちゃんが羽音さんの後ろ姿に手を合わせていた。「いまだに忘れんね。その時にわしは鉱害に命をかけようと決意した…神や仏のように頼られているとわしは思ったわけよ」と語る。
しかし、この行動は松本治一郎委員長(当時)の耳に入り、怒られた。「お前たちの要求は正しい、とことん闘え。しかし、物を持つ者は、物にたよる。物にたよるな、素手で闘え。信なくば立たず」と。
いらい羽音さんは素手で闘った。鉱害闘争(環境改善)と識字連動(教育)を軸に。
鉱害闘争は、農地の復旧問題は個人の資産の問題にされるが、2人以上の復旧問題は社会問題で公共の問題とされることを学んだ。そして、農地を対象とすると河川・水路、道路が関連してくる。その延長には家屋も出てくる。こうして地域のすべての鉱害が闘争の対象となった。また、鉱害闘争がすすむと、復旧作業に携わる業者、労働者の仕事保障にも広がっていき、閉山後の失業対策や産炭地振興の仕事保障にも連動していったのだ。
差別をなくす闘いなのだと
「最低生活の保障や環境改善のために物をよこせの運動は必要だろう。しかし、それを中心にしてはいけない。われわれは差別をなくす闘いをしているのだから」が羽音さんの口癖。
出版記念会の最後にあいさつにいくと、「生きてりゃ、また会えるよ」と一言。
修羅場をくぐり抜けた笑顔と底抜けの楽天性のなかに、にんげん羽音豊をみた。
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