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NHKが放映した大西巨人さんのドキユメント番組を見た。大西さんは、野間宏さんの軍隊内の非情さを措いた小説『真空地帯』を「俗情との結託」と批判し、軍隊内での抵抗を措く『神聖喜劇』を書きあげた作家だ。このなかで、大西さんが今の日本の状況は満州事変前と同じ、と警告を発しているのが注目された。
たとえば、さきに最高裁決定が出た「立川反戟ビラ入れ裁判」を見てみよう。
この事件は、イラク派兵反対のビラを自衛隊の立川宿舎に入れたことを犯罪として不当逮捕されたうえに、75日間も勾留され、4年2か月間も裁判を続けてきたものだ。一審判決は明確に、ビラ配布目的だけなら共有部分への立ち入りにたいして刑事罰をあたえる社会通念はないとして、違法性はない、ビラの投函自体は表現の自由が保障する政治活動で、民主主義社会の根幹をなすもの、とした。
しかし、最高裁は他人の権利を不当に害するビラまきは、表現の自由があっても公共の福祉のため必要かつ合理的な制限だとして、不当にも2審の有罪判決を支持した。
また、映画「靖国 YASUKUNI」でも、表現の自由をめぐる問題が起きている。
発端は、週刊新潮誌が反日映画にたいして文化庁から助成金が出ている、と煽ったことにある。この記事をもとに「日本会議」国会議員連盟が動き出し、上映会なるものが催された。その後、偏向映画だとして文化庁が助成金を出していることが議員により追及され、映画上映をめぐって、右翼が上映予定館にたいして脅迫電話や街宣車による威嚇をおこなった。
こうした流れを受けて、多くの上映予定館が「自主的に上映中止」を決めた。
こうした、言論、出版、集会、表現の自由をめぐる問題は取りあげればきりがないほどの例が出てくる。憲法がこれらの自由を保障しているにもかかわらず、だ。しかし、これが今の日本の憲法状況の反映なのだ。
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もう一つの例をあげてみよう。
名古屋高裁は、4月17日にイラクでの航空自衛隊の支援活動は憲法違反だ、とする判決を出した。バクダッドはイラク復興支援特別措置法にいう「戦闘地帯」であると認定し、「現代戦において輸送等の補給活動も戦闘行為の重要な要素」「自らも武力の行使を行ったとの評価を受けざるを得ない」と判示した。
同じ内容の裁判で憲法判断がネグレクト(無視)されてきたなかで、今回の名古屋高裁決定は、憲法9条違反を35年ぶりに指摘した画期的な判決ということができる。
ところがだ、福田首相はすぐさま「空自活動は継続」と語り、防衛省幹部は隊員らに「違憲は遺憾」と訓示し、鳩山法相は「傍論にすぎない」と暴論をのべた。はなはだしきは航空幕僚長で、お笑い芸人のフレーズを使いながら「そんなの関係ねえ」といいはなった。
こうした為政者や自衛隊関係者の発言は、三権分立、シビリアンコントロールを決めた日本国憲法に明確に違反しているのである。司法判断を重く受けとめ、国会に是非をはかることが、すくなくとも責任と役割なのだ。
派兵された航空自衛隊員の一人は、「砂漠の真ん中にぽつんと車があったりすると、「敵か」と緊張が走る。1回のフライトで体重が2キロ落ちたこともある」と語っているのだ。
イラクへの陸上自衛隊の派兵では、先遣隊長だった者(現在、参院議員)が、「駆けつけ警護」であえて戦闘に巻き込まれ、武器攻撃をおこなう、という挑発的な役割を担うつもりであったことを、平然とニュース番組でいってのけた。しかし、これにたいする問責もないのが現状だ。
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読売新聞は、憲法をめぐる世論調査を4月に公表した。
このなかで注目されるのは、改憲反対がついに賛成を上回った、ということだ。この逆転現象は、93年以来だ。具体的には、改憲賛成が42.5%、反対が43.1%となった。しかし、問題は派兵恒久法が必要とする人が46%と、必要でないの42%を上回っていることだ。
読売の調査結果は、逆に、改憲派の巻き返しのための跳梁台になる可能性をもっている。
憲法とは、国家権力にたいし民衆が制限をあたえ、民衆の幸福のために何をなすかを求めるものである。護憲とは、つまり憲法にいう「不断の努力」で民衆の権利を守り、拡大していくことなのだ。
こうした原点を守りながら、私たちは「不断の努力」を部落解放運動と結合し、「よき日」へ向けて、さらに歩みを続けよう。