1
「万人の万人による闘争の場が市民社会である」とは、19世紀のドイツの哲学者、ヘーゲルの言葉である。
国家とは、領土と国民と主権をもつものとされている。領土も国民も排他的に、つまり、それ以外のものは排除するという関係性のなかで、はじめて領土も国民も成り立つのである。
国家成立のなかで、それ以前の共同体は分裂し、市民社会と国家に分離した。現実に私たちが生きる世界が市民社会で、そこでは、ヘーゲルの言葉どおり、個個の人間がバラバラに分断され、競合しながら生きている。「砂漠のような東京」という言葉は、共同性が奪われた、極限の状態を示したもの、ととらえることができる。
こうした市民社会のなかで、かつて、部落は豊かな共同性を失わずに、存続してきた。だが、しかし、現状はどうだろうか。
家族間の絆さえなくなってきているという、高齢者の行方不明事件をみるまでもなく、部落のなかでも、お互いの顔を見渡せる空間が狭まり、誰が、どこで、何をしている、という関係が部落全体のなかで見えにくくなってきているのが現状ではないのか。まして、近隣の部落などになると、より疎遠になるばかりだ。
もう一度、部落のきょうだいとして部落内、部落問の全国的な絆を復活させよう。このことが、部落解放運動の組織の再生や運動のあらたな創造につながっていくのだ。
2
「相対的に差別はなくなりつつあるが、妙なかたちで残っている。(生まれ育った)尼崎のまわりにも、いくつか部落がある。いまでも就職や結婚で、幸い思いをしている人がいくらでもいると思うよ。…まず、自分たちのできることを、そこでやればいい。いつかはつながる。つながるのは難しいけど」
これは、中上健次と親しく接し続け、『世界史の構造』という本を出した評論家の柄谷行人が、部落差別について聞かれ、答えた言葉だ。
部落外の人びとは、部落差別が厳に存在し続けていることを理解しているのだ。「いつかはつながる」が、その方途がみえない、ということが「難しいけど」という言葉に連なっている。
私たちにとっての課題は、部落外の人びとと、どういうきっかけで、何を媒介に、どうつながるのか、を明確にすることだ。たとえば、狭山闘争のなかで形成された共同闘争で多くの成果がある。それを新たなつながりの場とすることや、まちづくりのなかで協働の作業をすすめることなどがある。あるいは、魂をゆさぶる闘いのなかでも機会を作り得る。
「万人の万人による闘争の場が市民社会である」とは、19世紀のドイツの哲学者、ヘーゲルの言葉である。
国家とは、領土と国民と主権をもつものとされている。領土も国民も排他的に、つまり、それ以外のものは排除するという関係性のなかで、はじめて領土も国民も成り立つのである。
国家成立のなかで、それ以前の共同体は分裂し、市民社会と国家に分離した。現実に私たちが生きる世界が市民社会で、そこでは、ヘーゲルの言葉どおり、個個の人間がバラバラに分断され、競合しながら生きている。「砂漠のような東京」という言葉は、共同性が奪われた、極限の状態を示したもの、ととらえることができる。
こうした市民社会のなかで、かつて、部落は豊かな共同性を失わずに、存続してきた。だが、しかし、現状はどうだろうか。
家族間の絆さえなくなってきているという、高齢者の行方不明事件をみるまでもなく、部落のなかでも、お互いの顔を見渡せる空間が狭まり、誰が、どこで、何をしている、という関係が部落全体のなかで見えにくくなってきているのが現状ではないのか。まして、近隣の部落などになると、より疎遠になるばかりだ。
もう一度、部落のきょうだいとして部落内、部落問の全国的な絆を復活させよう。このことが、部落解放運動の組織の再生や運動のあらたな創造につながっていくのだ。
3
部落解放運動が胸を張って誇れる闘いは、教科書無償化の闘いであり、最低賃金改正や就職差別撤廃への統一応募用紙の闘い、生活保護受給額の男女格差撤廃の闘い、奨学金制度の改正継続の闘いなど、だれもが認める多くの社会的・歴史的成果がある。それは、部落問題解決の仕組みを、困難を抱えるすべての人の問題解決への仕組みとして押し出していったという誇るべきとりくみであったことを想起すべきである。
じつは、現在の格差社会是正のとりくみの中で打ち出されるさまざまな政策をみると、これまで部落解放運動がとりくんできた多くの生活密着課題へのとりくみが、今日の格差社会日疋正への先駆的とりくみとしてあったのだという自信をもってよいのである。現在、国策として提起されている子ども手当の問題、農業従事者への支援、高校授業料の無償化の問題などはその事例である。
したがって、従来のように地区限定の特別対策の手法として要求するのではなく、社会的な要求として押し出す手法を整えるということに知恵と工夫を傾けさえすれば、まさに部落解放運動はその闘いの経験と実績を持っていることを自覚すべきである。その「知恵と工夫」が、自助・共助・公助の仕組みを作り出そうということである。
特措法がなくなったから、さまざまな要求課題が実現できないという思い込みは間違いである。日常生活の中で抱える諸要求は、今日的な政策課題と結びつけながら実現していくとりくみを、部落解放同盟が地域の先頭に立っておこなうことが、今こそ重要である。
4
くどくどと書いてきたのは、参議院選挙闘争の総括論議のなかでも出てきているように、部落内外での私たちの絆が弱ってきていないのか、という問題を示したいからなのだ。
部落内外のつながりを、『解放新聞』を通じて、さまざまな各地のとりくみの紹介、さまざまな部落民の生き方を示すことによって、さまざまな魂をゆさぶる闘いを紹介することによって、強め、つくり出すことができるからだ。そのことは、中央機関紙『解放新聞』と同じように、各地の『解放新聞』でも、同様のとりくみは可能だ。
『解放新聞』を人と人を結ぶ媒介として、配布・集金・拡大・活用という原則を守りながら、さらに拡大させ、活用していこう。新たなステージに入るべき部落解放運動のためにも、『解放新聞』を大きく育てていこう。