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部落問題資料室
NEWS & 主張
「惟善学校」跡地を広場に
人問解放の拠点として
小諸市

「解放新聞」(2011.09.26-2536)

 【長野支局】県内で唯一、被差別部落のなかまが設立した学校といわれている「惟善(いぜん)学校」跡地が公園広場に。小諸市は、6月19日、「惟善学校跡地記念広場竣工・除幕式」をひらき、小諸市加増・荒堀地区内の新しく整備された広場に、関係者40人が集まった。
部落のなかまが作った学校
  惟善学校は、1872(明5)年の学制で各地に学校が創立されたが、被差別部落の子どもたちは差別により学校に行くことができなかったことから、「自分たちの力で学校をつくり、子どもたちに差別に打ち勝つ教育を」との部落の人びとの願いで1880(明13)年につくられたもの。
  今回の惟善学校跡地の整備は、1996年に部落解放同盟小諸市協議会が保存・整備を要望、2003年に地元荒堀区から要望、2006年に小諸市の事業として整備がすすめられ、この日の竣工式となった。
  竣工式では、芹澤勤・小諸市長が「小諸のすぼらしい教育文化財として、また差別のない社会をつくるための拠点として整備することができた」とあいさつ。また、別府福雄・小諸市議会議長は「差別に抗し、教育を実現した方がたの、その情熱に敬意をあらわしたい」、高橋進・荒堀地区惟善学校周辺整備建設委員会委員長は「長野県での同和教育の原点が整備できた」、朝倉近志・荒堀区長は「広場を活用し、地域社会の発展に努力したい」、とそれぞれ竣工を祝った。

惟善学校とは
  部落の頭を務めた高橋弥右衛門が、「差別が厳しくなる中で、この上文字まで読み書きできなければ、将来、荒堀部落の子どもたちは、二重にも差別を受けなければならない。そんなことはさせたくない。差別されても、賢くならなければ、自分自身が成り立ってはいかない」という思いから、1880年に自宅と敷地を開放して学校を設立し、みずから教師として子どもたちの教育にあたったもの。その学校は「惟善学校」とよばれ、県内で唯一、部落民が作った学校といわれている。いまでも、その場所は「学校場」とよばれ、荒堀の人びとは愛着をもっている。
  惟善学校は、1882年に荒堀学校と改称され1897年に北大井尋常小学校加増分教場とされた。(小諸市・惟善学校跡周辺整備事業パンフレットから)


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