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NEWS & 主張

徳島県連委員長になって
中原サヲ江

「解放新聞」(2020.10.05-2967)

同和教育もなく一日も早く逃げたいと思った

中原サヲ江さん(8月28日・徳島市内県連事務所)

中原サヲ江さん
(8月28日・徳島市内県連事務所)

 徳島県連で初の女性委員長ということで執筆を引き受けました。

 私は1952年、4人きょうだいの3番目(女子は私だけ)として生まれました。両親が働いても働いても家計は苦しく、まだ教科書が無償でなく1歳上の兄のお古を使っていたので、嫌な思いを何度かしたのを覚えています。故郷が被差別部落であると知ったのは小学4年生のときです。父親が「ここに生まれた者は、差別されるんぞ」と。私は「なんでなん?」と聞こうとしましたが、父は何か思い詰めた感じで目には光るものがあり、あぁ聞いたらあかんことなんやと言葉を飲み込みました。家がこんなに貧乏やけん差別されるんだろうか、それともなんか他に理由があるんだろうか、と自分なりにいろいろ考えましたが、答えは見つかりません。当時、同和教育はまったくなかったので知る由もありませんでした。それからは、住所を聞かれるのがすごく嫌で、ごまかしたりもしていました。

 母は文字の読み書きがまったくできず、子どもの頃に学校から通知を持って帰っても読んでもらえず「なんで大人やのに字がわからんの」とずっと思い、ただ文字が読み書きできないというだけで私は母を見下げていました。母は、私たち子どもを育てるために土木作業など男の人に交じって朝早くから夜遅くまで必死になって働いていたのに、母にたいしてそういう見方しかできませんでした。部落差別のために学校にも満足にいけず、教育を奪われた結果として文字の読み書きができなくされたということを知ったのは、部落解放運動に入ってから、識字学級と出会ってからです。解放運動に出会うまでの私は、なんでこんなところに生まれたんだろうと地域を恨み、文字の読み書きのできない母を恨み、こんなところから一日も早く逃げたいとずっと思っていました。その後、高校卒業と同時に大阪で就職しました。大阪で過ごした3年間は、ほんとうに楽しい日日でした。しかし、好きな人ができても結婚だけはあかんと自分に言い聞かせていたので、彼にはなんにも言えずに別れました。同じ職場だったので、いづらくなっていたところに母から「縁談があるけん戻ってきな」と電話があり、あんなに嫌で嫌でたまらなかった故郷に帰ることになりました。

 結婚して、どこか働くところがないか探していたところ、すでに解放運動に積極的に参加していた母から「(部落解放同盟の)鳴門ブロック(市協議会)で誰か会計のできる子を探しょうけん、お前いくか」といわれました。この際どこでもええわ、家から近いしと、専従として働くことになりました。事務所に入って、まず「部落解放」「狭山差別裁判糾弾」などのポスターを見てびっくりしました。それまで世間以上に私自身がタブー視していたかもしれないものが堂堂と貼ってあり、私はとんでもない所にきたのではと不安になりました。母や事務所の先輩たちからいろいろな話を聞いたり、また当時は、行政交渉が頻繫におこなわれ、県内あちこちへと出かけていくなかで私自身の考え方も、徐徐にではありますが変わっていきました。〝黙っていても何も変わらない〟ということを身をもって体験していきました。

中原さん自身も長くかかわる地元支部の識字学級は保育所から中学校まで子どもたちとの交流にとりくんできた(2015年10月15日・徳島県鳴門市)

中原さん自身も長くかかわる地元支部の識字学級は保育所から中学校まで子どもたちとの交流にとりくんできた(2015年10月15日・徳島県鳴門市)

 とくに私を変えてくれたのは識字学級の存在です。部落差別によって奪われた文字を取り戻す闘いは、母をはじめとしておばあちゃんたちを変え、私たち共学者もともに変えてくれました。識字学級は現在、子どもたちとの交流会を主としてとりくんでいます。話は前後しますが、子どもが生まれてからは子育てと仕事の両立が難しくなり、仕事をやめようかと何度も思いました。しかし、いまやめることは差別から逃げることになる、この可愛い子どもたちに親が差別をなくすために頑張っている姿を見せなあかんやろ、と自分に何度も言い聞かせ、また、家族の協力も得て現在まで続けることができました。

解放運動で学んだことを活かして頑張っていく

 解放運動に入って46年になりますが、この間さまざまなことがありました。昨年は全女を30年ぶりに徳島で開催、私は議長団としてあいさつさせていただき、みなさまの協力を得て成功裡に終えることができました。また、県連女性部は、徳島県女性協議会に1980年の協議会発足当時から加入しています。徳島県女性協議会とは、思想信条を問わず女性差別の撤廃や女性の地位向上をめざす団体です。県内26の女性団体が加入しています。その女性協議会からの推薦を受け、昨年8月、「男女共同参画立県とくしまづくり賞」を受賞しました(2926号既報)。2015年には、私の地元で「鳴門市男女共同参画推進条例」の策定委員となり、条例の「定義」「基本理念」の各条文中にマイノリティの問題を書き込ませることができています。いまは第3次行動計画の策定委員として、微力ですが頑張っています。

 もともと私は人前で発言するのが苦手で、できればしゃべりたくないとずっと思っていました。いまでもその思いはあまり変わっていません。しかし県連委員長になると、そうはいっておれません。だから私にとって委員長になるということがどれほどのプレッシャーであったことか。できればやりたくないというのが本音でした。しかし、さまざまな議論がありましたが委員長に推薦され、引き受けました。

 私には、解放運動を先頭に立って頑張っている先輩がいます。いままで、いろんなことを教えてもらったり、引っ込み思案の私のお尻をよく叩いてもらいました。私は、その人をロールモデルとして長年とりくんできたので少しは成長できたのかと思い、その人がいなければいまの私はないと思っています。

 今年はコロナ禍で集会や研修会の中止が多く、これまでのところ県連委員長としてのあいさつの機会は少なくなっていますが、あれば毎回ドキドキしながら壇上に立ってあいさつしています。また、女性委員長ということで周りから少しもてはやされていますが、先日こんな話を聞きました。「女がトップをするような団体は終わりじゃ」と。そのことを聞いたときは腹が立ちました。男性社会のなかでまだまだそういう意識は変わってないんだと。しかし、そういわせないよう、いわれないよう、私自身がこれまで体験したこと、解放運動で学んだことをいまこそ活かし、今後とも頑張っていかなければならないと思っています。

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