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3・11東日本大震災から10年

「解放新聞」(2021.03.05-2983)

 2月13日午後11時8分、福島県沖を震源とするマグニチュード7・3の地震が、大震災から10年を迎えようとする東北地方をふたたび襲った。気象庁によると宮城県や福島県では震度6強を観測し、東京でも震度4を観測するなど広範囲に揺れたが、震源が深いために津波警報は発令されなかった。東北新幹線が止まり、東北・関東地方では一時、約92万戸が停電し、150人以上が負傷した。東日本大震災の余震だというが、東日本大震災はまだ終わっていないことを知らしめる地震だった。

 ちょうど10年前の2011年3月11日、マグニチュード9という巨大地震が発生し、津波が東北沿岸部を壊滅させ、福島第一原発の3つの原子炉を溶解させて放射能をまき散らした。死者・行方不明者1万8426人(20年12月10日現在、警察庁)の犠牲者が出た。

 あれから10年がたち、三陸の被災地では、ハード面の復興がすすみ、交通インフラもほぼ震災前の水準に戻った。復興庁によると、20年9月末時点で直轄国道は1161キロメートルが開通し、完全復旧した。県や市町村が管轄する道路も99%まで復旧工事が完了した。国がすすめる自動車専用道(総延長584キロメートル)も完成が近づく。東北地方整備局によると、20年12月までに約8割の458キロメートルが開通した。

 東電福島第一原発事故の影響で不通となっていたJR常磐線は20年3月、富岡―浪江間の約20・8キロメートルが開通し、9年ぶりに全線で再開、首都圏と東北を結ぶ大動脈が復活した。

 津波で大きな被害が出た沿岸部では、巨大な防潮堤がつくられ、盛土でかさ上げされた街には、新たな商業施設が建設された。国は青森、岩手、宮城、福島、茨城、千葉の6県で防潮堤や護岸の整備をすすめ、20年9月末までに計画の7割超が完成した。

 福島県の太平洋沿岸部(浜通り地区)では企業誘致がすすみ、原発災害地を中心とした市町村への工場やオフィスの新増設は震災後の累計で約390件。背景には国や県の補助金の存在が大きい。最大50億円の工場建設への助成金のほか、土地の年間賃料が1平方㍍あたり100円という破格の条件の工業団地もある。

 いっぽう、水産業は、回復が鈍い。岩手県によると、沿岸部で主力の水産業は、震災で5649億円の被害が発生したが、18年度は水揚げ10万トンと、震災前3年間の平均の61・6%にとどまる。本州有数の漁獲量を誇る秋サケの記録的な不漁が復興の足かせになっており、「育てる漁業」への転換をめざしている。

 東日本大震災の被災地の復興は、着実にすすんでいることは事実だ。被災地には、避難していた人たちが建てた新築の家がならび、景色は10年で大きく変化した。しかし、手放しで喜べないさまざまな課題がある。

 その一つは、格差の拡大による生活困窮者の増大だ。復興住宅に入居できても、家賃が払えない人びとがたくさん出てきた。災害公営住宅に入居したが、月3万5000円の年金生活者は、家賃と光熱費を払うのが精いっぱいだ。家賃の滞納もめずらしくない。

 支援者の一人は「本当に困っている人は自分からいいだせない」という。生活困窮者はどの公営住宅にも1割ほどいたが、コロナ禍で2割ほどに増えた。生活保護はハードルが高く、なかなか受けられない。「毎日食べる米の支援が命綱だという困窮者もいる」と話す。最近はコロナ禍で、商売をしている人のなかにも困難な状況に追い込まれる人が出ている。支援者は「今後さらに困窮者が増えるのでは」と危惧している。

 二つめは、心のケアの問題だ。被災地では土地造成や住宅建設などハード面の整備はほぼ完了。岩手、宮城両県では最大約6万5000戸(約16万7000人)あった仮設住宅は、21年3月末までに解消の見通しだ。しかし、コミュニティー再生や被災者の心のケアなど課題は残っている。公営住宅の閉鎖性、孤立性を背景にした自死が増えている。病気や自殺で亡くなった震災関連死は3767人にのぼる(20年9月30日時点、復興庁)。

 三つめは、原発事故による帰還困難区域の問題だ。地震と津波でメルトダウンした福島第一原発事故は、いまだに溶け落ちた核燃料(デブリ)とり出しの見通しが立たず、大量の汚染水は処理できず野積みされている。最近、政府は汚染水タンクに貯蔵されている汚染水を海洋放出する方針を口にしはじめたが、この上ない危険な処理方法だ。

 いっぽう、福島県の避難者は、約3万6000人。うち福島県内に避難しているのは約7400人。約2万9000人は県外への避難者だ(20年12月25日時点、復興庁)。復興庁と自治体が実施した調査では、双葉町、浪江町、富岡町では5割の住民が「戻らない」と回答した。

 政府は、原発事故の影響はほとんどないというが、事故当時18歳以下だった約38万人を対象にした甲状腺検査(県民健康調査)では、252人が甲状腺がんの疑いがあると診断され、うち203人が甲状腺の摘出手術を受けている(21年1月15日時点、福島県)。

 政府は除染作業が終わったとして、全町避難が続いていた原発立地の双葉町の避難指示区域を解除して支援を打ち切り、住民に帰還を強制している。住民の意思を無視した強制的な帰還政策は許されない。

 四つめは、高齢化と過疎化の問題だ。被災地では震災以前から高齢化と過疎化がすすんでいた。それが大震災でいっそう加速された。陸前高田市では、総額1000億円という膨大な予算をかけて山を削り、旧市街地の大規模なかさ上げ工事をした。海側には12・5メートルの巨大防潮堤が建設され、内側には見渡すかぎりの広大なかさ上げ地が広がる。かさ上げされた新市街地には商業施設や公共施設が建設されたが、今後、公共施設の維持管理はすべて自治体が担うことになる。その維持管理は誰がするのか。莫大な額の維持管理費用を過疎化がすすむ自治体が税金で賄えるのか。

 五つめは、原発事故や被災地への人びとの関心の低下だ。10年がたって関心は相当薄れている。しかも昨年からは、新型コロナウイルスが世界中で猛威をふるい、大震災の問題はその陰に隠れた感がある。このままでは震災の記憶の風化が加速する。10年前、人びとは、まちが津波にのまれる映像を目の当たりにし、ガソリン不足や物不足を経験し、計画停電で不自由な生活も強いられた。その経験がボランティア活動をあと押しし、多くの若者が支援に向かった。しかし、その気持ちがしだいに薄れている。内閣府の「社会意識に関する世論調査」では、震災後に「何か社会のために役立ちたい」と思った20代は70%に達したが、昨年は震災前の水準に戻った。背景には、この10年間での格差拡大があるように思える。人びとの心のなかに、他人を思う余裕がなくなったのではないか。

 大きな犠牲者を出した東日本大震災。あれから10年たったが、被災地の課題は、人口減少がすすむ日本のほかの地域に共通するものである。日本は、地理的な条件から地震や豪雨、台風など自然災害のなかで暮らすことを余儀なくされている。自然災害による被害は、これから先もなくなることはない。いや、むしろくり返しおこることを前提に、この国の政治や経済のあり方を考えなければならない宿命を、日本の国民は背負っている。日本の国民が東日本大震災を教訓にして、さまざまな自然災害にたいする対策に知恵を巡らすことは、被災地への支援だけでなく、自分自身の問題解決にも結びつく。10年を節目にして、あらためて被災地のいまに目を向け、新たなつながりと支援にとりくんでいこう。

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