「解放新聞」(2021.04.05-2986)
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2019年、学会誌「レビュー・オブ・ロー・アンド・エコノミクス」に、ハーバード大学のマーク・ラムザイヤー教授による「でっち上げのアイデンティティを使って:日本の部落アウトカースト」(原題:On the Invention of Identity Politics :The Buraku Outcastes in Japan)と題する論文が掲載された。この論文は、被差別部落の歴史や戦前および戦後の部落解放運動、政府が実施した同和対策事業など、部落問題全般にわたって独自の見解を述べたものであるが、その内容は、おおよそ学術論文とはかけ離れた誤謬と偏見に貫かれている。
例えば、江戸時代に「えた・ひにん」と呼ばれた人々が弊牛馬の皮をなめす仕事をおこなっていたことは、多くの古文書や史料から明らかである。しかし、ラムザイヤー論文では「もっとも重要なことは、ほとんどのカワタが動物の死骸の皮を剥いだことがなく、皮革取引とは何の関係もなかった」「むしろほとんどの部落民は彼らの先祖を貧しい農民にたどる」などと述べ、研究や調査によって明らかになっている歴史的事実そのものを改ざんしている。驚くべきことに、彼は「皮革労働者のギルド」という部落民のアイデンティティは、全国水平社内のマルクス主義者が捏造したものであるとまで言い切っている。
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また、ラムザイヤー教授は、部落差別からの解放を願って立ち上がり、不当な弾圧や妨害を乗り越えて平等な社会の建設を目指した全国水平社や、戦後その精神を引き継いだ部落解放同盟の運動を愚弄し、冒涜している。論文では、全国水平社はボルシェビキ・グループが自らの政治活動を拡大するためにつくったもので、その後、全国水平社はすぐに犯罪者集団に乗っ取られたと述べる。
そして、その代表に、戦前に衆議院議員、敗戦後には参議院の初代副議長に選出された松本治一郎委員長をあげ、松本委員長を「犯罪の暗黒街の代表」と呼んで侮辱している。もちろん全国水平社は犯罪者の集団ではなく、その認識自体が偏見である。全国水平社が当時の社会運動や政治運動の影響を受けたことは確かであるが、政治運動のために全国水平社を結成したのではない。
全国水平社に参加した被差別部落民は、生活のなかで受ける露骨な侮辱や差別への怒りから自ら立ち上がったのである。ラムザイヤー教授は、人間として止むに已まれぬ心情から運動に参加した被差別部落民そのものを犯罪者扱いし、侮辱している。
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さらに論文は、敗戦後、政府や地方自治体が実施してきた同和対策事業の意義や成果を無視し、あたかも部落解放同盟の「ゆすり」によって同和対策事業がおこなわれたように歪曲している。
政府は、1960年代に2度にわたって被差別部落の詳細な調査をおこない、1965年には、同和対策審議会答申のなかで、被差別部落が「きわめて憂慮すべき状態にあり、関係地区住民の経済状態、生活環境等がすみやかに改善され、平等なる日本国民としての生活が確保されることの重要性を改めて認識した」として、1969年に同和対策事業特別措置法を制定して、生活環境の整備や社会福祉の充実、教育文化の向上などの施策を実施した。同和対策事業は、部落差別によって社会の底辺に縛られていた被差別部落民の生活と権利を保護するために政府が実施した歴史的な事業である。
しかし、論文では、部落解放同盟が「ゆすり」のために政府を脅迫して同和対策事業を実施させたと述べ、政府や地方自治体がおこなった同和対策事業の歴史的なプロセスや意義および成果を不当に歪曲している。
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また、ラムザイヤー教授は、まったく根拠のない数字や計算式を使って、被差別部落民の人口移動や犯罪率、婚外子率の数字を並べて、自らこしらえた被差別部落民=犯罪集団という推論に当てはめ、被差別部落に対する悪質な印象操作をおこなっている。例えば、被差別部落民=暴力団を印象付けるために、1935年の調査データと、日本の人口増加率から「2010年の部落人口180万人」と推計し、かつ1989年の警察白書の暴力団員の数字をもとにして、何の根拠も関連性もなく、被差別部落出身に占める20歳代、30歳代の暴力団員の割合を算出している。
また、関連性のない数字をあげて、「婚外子の出産は、他の日本人よりもはるかに一般的である。薬物の使用はより普及している。犯罪は暴力的であり、組織犯罪は主に部落現象であり、BLL(部落解放同盟)と暴力団の関係は深い」などと書き連ね、被差別部落民が差別されるのは、倫理道徳に反した生活を続けていることに原因があると結論づけている。
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さらに、ラムザイヤー教授は、部落問題に関連した多くの調査や研究成果を無視し、都合の良いところだけを作為的に取り上げ、誤った持論を展開している。
被差別部落の人口流失に関する説明では、政府が実施した同和対策事業が「若い部落民の男性に学校を中退し、部落にとどまり、犯罪シンジケートに加わるように仕向けた」と述べ、いかにも補助金を目当てに若者が地区内にとどまり、暴力団に参加したようなイメージを与えている。
しかし、実際は、同和対策事業が実施されている期間には、被差別部落の生活環境や雇用面の改善がすすみ、奨学金制度によって、若者たちは高校や大学に通うようになった。また、卒業後にさまざまな企業に就職した結果、被差別部落外に居住する若者が多くなった反面、高齢者が残り、被差別部落の高齢者の割合は日本の平均値よりもかなり高くなっている。これは全国各地の調査によって明らかである。
論文は、このような調査や研究成果をまったく無視しており、自己のでたらめな推論に合わせて事実を歪曲している。
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このように、歴史の捏造と歪曲、全国水平社や部落解放運動に対する極めて悪質な誹謗中傷、同和対策事業に対する歪曲など、論文は、全編にわたって被差別部落や部落解放運動への憎悪と偏見で貫かれており、被差別部落民と部落解放運動を貶めるために執筆されたもので、部落差別を助長するものである。
なかでも、狭山事件に対する誹謗や中傷は、決して許すことができない。論文では、第7章で狭山事件を取り上げ、「石川は強盗殺人でかなり重要な役割を果たした」「彼が少女を強姦殺害したギャングの少なくとも一部であったことは疑いの余地はない」などと言い切っている。この間、狭山事件再審弁護団によって、科学的手法によって、石川一雄さんの無実を示す新証拠が提出され、再審実現にむけた取り組みが前進しているにもかかわらず、どのような根拠にもとづいて石川一雄さんを犯人だと断定しているのか、論文では一切明らかにされていない。
こうしたでたらめな論文を執筆したラムザイヤー教授には、研究者としての誠実さや謙虚さがまったく見られない。論文は、結婚や就職における部落差別の事例にはまったく触れておらず、論文のどこにも部落差別が現に被差別部落民を苦しめているという認識が見られない。彼はまた当事者から学ぶ、当事者と対話するという人権問題研究の大原則をまったく放棄している。論文からは、被差別部落民と部落解放運動に対する敵愾心と憎悪のみが伝わってくるだけである。
どのような動機からこのように悪質な論文が書かれたのかは不明であるが、動機がどうであれ、これは絶対に許されない差別論文である。学会誌において、こうした差別的な内容が公表されること自体が誤りであり、許されない。
ラムザイヤー教授および学会誌「レビュー・オブ・ロー・アンド・エコノミクス」に論文の撤回を強く求めるものである。
2021年3月15日
部落解放同盟中央本部
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