「解放新聞」(2022.08.15-3036)
日本による侵略戦争や植民地支配の歴史を正当化するため、史実を修正・否定して扇動する危険な動きがいま、インターネット上に差別扇動と同様に拡散し、エスカレートして社会に広がっている。群馬県内では、県立公園にある朝鮮人追悼碑を否定する攻撃が2012年に表面化。14年には県が碑の設置期間の更新を拒否した。この不許可の取り消しを求め、同碑の「守る会」は県を提訴し闘ってきたが、6月15日、最高裁が不当にも上告を棄却した。
最高裁第二小法廷(岡村和美・裁判長)による不当な上告棄却決定にたいし、「記憶 反省 そして友好」の追悼碑を守る会(守る会)は6月20日午後、裁判勝利に向けて予定していた東京・参議院議員会館での院内集会を抗議集会にきりかえてひらき、100人以上が参加、群馬県連も参加した。東京高裁の不当判決を、理由を一切示さず維持した最高裁決定への怒りを共有し、歴史の事実を否定して政府に忖度(そんたく)する司法の危機を確認。裁判の経過と問題点、碑の意義、県内の朝鮮人強制連行の実態などの報告を受け、最高裁への抗議文を採択し、碑を守る決意と、歴史を記憶し、反省し、友好につなげる闘いを誓った。
高崎市内の県立公園「群馬の森」にある「記憶 反省 そして友好」の追悼碑は、調査されず長年放置されてきた県内の朝鮮人強制連行犠牲者の実態について90年代に始まった調査活動をふまえ、犠牲者の追悼碑を建てるために98年に結成された「建てる会」(守る会の前身)が、県の許可を得て04年4月に建立したもの。県議会では01年6月に「戦時中における労務動員朝鮮人犠牲者の追悼碑建立に関する請願」も全会一致で趣旨採択されている。
碑の更新を県が14年7月に不許可にした背景には、12年から県内でも表面化した歴史否定の悪質な扇動がある。14年6月の県議会が、01年とは逆に設置許可の取り消しを求める請願を採択するほどに広がっていた。
県が不許可の理由としたのは、碑の前での過去の追悼式で「強制連行」という発言があったから、政治的行事をしないという許可条件違反だという一方的・恣意的な解釈。これにたいし、前橋地裁は、更新許可の設置期間や条件は県に裁量があるとはしたが、碑は機能を失っておらず更新の不許可は「社会通念に照らし著しく妥当性を欠く」「裁量権を逸脱した違法がある」として不許可の取り消しを命じた。守る会の一部勝訴判決だ(18年2月14日、2849、2853号既報)。
この前橋地裁判決を21年8月26日、東京高裁が取り消した(第10民事部、髙橋謙・裁判長、3002号既報)。政府が認めていない「強制連行」という発言があったことで碑の中立性が失われ、「都市公園法」の公園施設の要件を満たさなくなったから不許可は適法とする不当判決だ。「強制連行」の表現については、21年4月27日、菅政権(当時)が、過去の政府答弁やILO(国際労働機関)の判断(99年)を無視して一方的に不適切とする答弁書を閣議決定したばかり。21年5月には、文科省が教科書会社に臨時説明会をし、訂正申請を事実上指示したばかりだった。露骨に忖度(そんたく)した判決でもある。
抗議集会では、角田(つのだ)義一(ぎいち)・弁護団長(元参議院副議長)が「憲法違反について判断しろという要求に何にも応えず上告を棄却した。この程度の裁判官か。怒りの集会のなか、今後の闘い方に意見を出してもらい、知恵と力をしぼり追悼碑を死守する。新たな闘いの出発点だ」と主催者あいさつ。
弁護団の下山順・事務局長が裁判の経過を説明し、朝鮮人強制連行の調査研究をしている竹内康人さんが碑の意義と判決の問題点、県内の朝鮮人強制連行の実態を、一橋大学の田中宏・名誉教授が歴史を記録・記憶する意味を中心に怒りを語り、意見交換。「「憲法の番人」としての役割を放棄した最高裁」と題した最高裁への抗議文を採択した。
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