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<月刊「狭山差別裁判」315号/2000年3月>

司法反動を許さず証拠開示と事実調べを実現しよう
国際的な人権基準に視野を広げ、狭山を訴えよう

 昨年12月に、またも国会閉会中の金曜日に2人の死刑執行が行われた。.特に今回、わたしたちが見過ごしてはならないことは、再審請求中の死刑囚に対してはじめて死刑が執行され、それに対して法務省が「まったく同じ理由で請求が繰り返されている場合は、再審を開始すべき理由がないと判断して執行もありうる」としているということである(12月18日付朝日新聞朝刊)今回、執行された死刑囚の1人はこれまでも無実を訴えていたが、弁護士を通じて再審請求を提出したところであったという。再審請求に対して、裁判所の判断が出される前に再審の理由の有無を法務省が決めて死刑の執行ができるとすれば、三権分立の立場からしてもおかしく、再審制度の意味はなくなる。第6次再審請求で再審開始を得て無罪をかちとった免田栄さんのように、再審請求を繰り返すなかで証拠開示や事実調べがおこなわれ、無実が明らかになった数々のえん罪事件が現実にあることも考えれば、今回の死刑執行の強行は、法務省官僚の権力的な姿勢を示すものであり、再審制度や弁護を受ける権利を踏みにじる暴挙として徹底して批判されなければならない。さらに言えば、現行再審制度は新証拠の発見を再審請求の理由としている。一方で、新証拠となるべき未提出証拠資料の全面的な開示を保障しないで、再審の理由がないと判断するという法務省の姿勢はあまりに矛盾した不当な姿勢といわねばならない。
 一昨年、国連の規約人権委員会が、証拠開示の保障をはじめとして、警察での取り調べの可視化、部落差別の撤廃と独立した人権救済機関の設置、裁判官の人権教育の実施など国際人権規約にもとづく32項目にわたる重要な勧告を日本政府にたいしておこなったことは、国会でもとりあげられ、わたしたちもくりかえし強調してきたことである。その勧告の一つは、「死刑の廃止をめざした措置をと」ることであったが、政府・法務省はその直後にさえ死刑執行をおこない、国連勧告や国際的な流れ・世論に背をむける姿勢を露骨に示した。法務省に国連勧告や国際的な人権基準をとりいれて、国民的な議論をおこそうという姿勢がまったくないことは、証拠開示を保障するシステムの確立や裁判官の人権教育などの改革に手をつけようとしていない現状にも示されている。狭山事件の証拠開示についても、再三にわたる弁護団の具体的な求めにもかかわらず、検察官はいまだに証拠開示に一切応じていない。担当検察官は2、3メートルもの未開示証拠が現に手元にあることを認めているのである。再審制度が新証拠発見を理由にしているということからしても、このまま一切開示しないなどということが許されるはずがないであろう。弁護団は近く、新しい担当検察官と折衝し、証拠開示を強く求めるが、わたしたちも、国連勧告も武器にしながら、証拠隠しを許すなという世論を大きくしていこう。
 弁護団の補充書提出をうけて、いよいよヤマ場をむかえる異議審闘争において、わたしたちはいま一度、国際人権諸条約や国際的な人権の基準・制度に視野を広げ、狭山を訴えていくことが重要ある。石川さんがえん罪におとしいれられていった原因、すなわち、差別意識のなかでの見込み捜査、別件逮捕、代用監獄における長期の勾留、弁護士接見の制限・禁止、手錠をかけたままの密室での取り調べ、あるいは、証拠開示も事実調べも保障しない裁判といったことは、世界各国の刑事手続きではありうるのか、現在の国際的な人権基準から見て許されるのかという視点で見なおすことである。それは、そこからひきだされた自白調書の信用性や警察のやった鑑定の信頼性を見なおすことでもある。高木裁判長の棄却決定にはまったくそのような視点はない。わたしたちは、棄却決定の具体的な批判とともに、原点にかえって、えん罪を生み出したものを徹底して検証し、日本の人権状況を問い、変えていく闘いと結びつけて狭山再審闘争をすすめよう。盗聴法をはじめとして、国民の国家管理や人権に逆行する危険な動きが強まっていることも見すえながら、わたしたちは狭山再審闘争のいっそうの強化をはからなければならない。日本の人権確立を目指そうという市民の声・運動とも結びつけて、各地に狭山住民の会を積極的に作っていこう。


月刊狭山差別裁判題字

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