<月刊「狭山差別裁判」380号/2005年8月>
自白偏重・自白依存を促進させ誤判救済の道を閉ざす
不当な特別抗告棄却決定を批判しよう!
最高裁による特別抗告棄却決定は、石川さんの書いた上申書などと脅迫状との筆跡の違い、筆記能力の違いを「参考資料があったかどうか」の影響による違いと説明している。石川さんの自白によれば、自宅にあった妹の漫画雑誌「りぽん」から振り仮名をたよりに漢字を拾い出して脅迫状を書いたというのである。石川さんの家に「りぽん」はなく、棄却決定の根拠は自白だけであるが、脅迫状作成に関する石川さんの自白の不自然さや矛盾についてはまったく検討していない。弁護側は、新証拠を提出し、自白が多くの点で客観的事実と食い違い、変遷し不自然であり、真実ではないと主張したが、棄却決定は自白全体を有機的に関連したものとして信用性を判断する、事実調べをおこなうということをせず、一方で、自白の一部をご都合主義的に引用しているのだ。最高裁棄却決定は、自白依存、自白偏重を促進させるものといわねばならない。
このような棄却決定の不当性は、この間も、誤認逮捕事件やえん罪事件は後を絶っていないという現実を考えれば、何としても正されねばならない。国会でもとりあげられた栃木県宇都宮市での誤認逮捕事件では、昨年八月に逮捕され起訴された男性が論告求刑後に否認、その後、真犯人が判明し、ことし3月に無罪となった。二〇〇三年の鹿児島県議選の公職選挙法違反事件では、警察による人権無視の取り調べ、自白強要が問題となり、えん罪を訴えて裁判が闘われている。いずれも自白強要のやりかたや証拠隠しの問題は、狭山事件の場合と同じだ。
こうした現在も変わっていない、えん罪事件の実態を見れば、誤判から無実の人を救済する(無事の救済)という再審制度の理念を確認し、再審請求の手続きにおける弁護側の権利の保障、とくに証拠開示を受ける権利や事実調べの保障をどう具体化していくかを真剣に検討することこそ必要だ。ところが、今回の最高裁による狭山事件の特別抗告棄却決定は、ぎゃくに誤判救済の道を閉ざす、反動的なものとなっている。
たとえば、脅迫状・封筒に石川さんの指紋がないことを認め、それが自白と食い違っていることも認めながら、自白に出ていないだけであって、指紋が付かないようにしたかも知れないと特別抗告棄却決定は言う。こうした可能性で有罪の認定をする論法は、市民のだれでもが、えん罪にまきこまれたら救われない論法であり、さらに、自白偏重、書面だけの審理、調書裁判、証拠不開示を推進させるものである。もっといえば、「共謀罪」新設、警察権力の肥大化など危険な傾向に拍車をかけるものといわねばならない。狭山事件の特別抗告棄却決定は、市民の人権、司法の公正・公平さという点から見ても絶対に正さねばならない間違ったものである。
最高裁による抜き打ち的な棄却決定から5カ月が経過する。5月には、はじめての実行委員会主催による市民集会がひらかれ、ジャーナリスト、文化人、労働組合、宗教者、住民の会など各界の人たちがアピールをおこなう幅広い取り組みとなった。この闘いの輪をさらに広げることがいまだいじだ。第3次再審闘争では、事実調べ・証拠開示を何としても実現するために、教宣活動や署名運動を全国各地で早急に展開する必要がある。そのためにも、最高裁・特別抗告棄却決定の理不尽さ、不正義を徹底して批判するとともに、狭山事件の真相、石川さんの無実を訴え、司法の不当性を暴きながら、闘いの体制、支援のネットワークをいま築いておかねばならない。もう一度原点にかえって、狭山事件の真実を見つめなおし、第3次再審にむけた闘争体制を固めよう。
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