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<月刊「狭山差別裁判」381号/2005年9月>

事実調べもせず、あらたな有罪認定を持ち出して
再審請求を棄却する最高裁のやりかたは許されない

 棄却決定は、斎藤一連鑑定が脅迫状・封筒に万年筆の痕跡を指摘したのにたいして、それを完全に否定することはできず、石川さんが万年筆を持っていた可能性があると、新たな言い訳を持ち出している。確定判決に合理的疑いが生じているかどうかを判断しようとしている再審請求の審理で、証拠調べもせずに、再審請求人に不利な新たな認定をすることがまず問題であろう。証拠上、当時の石川さんは万年筆と無縁である。3回にわたる家宅捜索でも、石川さんの家からは、万年筆や万年筆インクはおろか、石川さんが万年筆で書いたものも発見されていない。日常生活で文字を書くことのなかった石川さんには、万年筆を使う必要性も機会もなかったからである。
 ところが、棄却決定は、石川さんが働いていた養豚場の経営者の6月8日付け供述調書中の「青インクの小瓶を箱に入れたまま持っていたし、万年筆も持っていて…石川一雄から万年筆を借りて書いたことはあった」という部分と、石川さんの6月9日付け調書中の「万年筆で蓋のないものを拾って持っていたことがありますが、1回も使いませんでした。インクと万年筆を揃えて持っていたことはありません」という部分を取り出し
て、「申立人(石川さん)は、本件前の近接した時期に自分自身の万年筆及びインク瓶を所持していた公算はかなり高い」と認定して弁護側の主張をしりぞけているのである。
 元雇い主の調書全体の意味を検討もせず、証拠調べもせずに、都合のよい部分だけを取り出して、あらたな認定をす、ることは不当である。石川さんの調書にしても、否認している時期のもので、「脅迫状に使われている漢字は書けない」「字は読めない」という内容の調書である。否認している内容は認めず、調書の一部分だけを取り上げることが不当であるし、「蓋のない万年筆を拾ったことがある」という言葉だけをとらえて、事件頃に万年筆を持っていたと認定するのは、あまりにも強引すぎると言わねばならない。さらに、棄却決定は、押収された万年筆のインクが被害者が使用していたインクと違っていたことにたいして、元雇い主の調書のこの部分を取り上げて石川さんがインクを入れ替えた可能性にまで結びつけているが、これもあまりに飛躍が大きすぎる。
 石川さんは、一九六三年二月末にこの養豚場を無断でやめて友人のところを転々としたすえに自宅へ戻っている。着の身着のままで飛び出して、友人から作業着を借りて車の中に寝させてもらっていたような状態だった。このような状況で、拾った万年筆とインク瓶を持って出て、自宅へ持ち帰ったというようなことが考えられないことは明らかではないか。
 もし、最高裁のいうように、石川さんが万年筆を事件当時持っていて、それを使ったのなら、なぜ自白には出てこないのか。持っていたインクを詰め替えたというならインク瓶を持ち歩いていたことになるのか。もはや自白のストーリーはメチャクチャになるではないか。こうした矛盾点について弁護側の反論の機会も保障せずに一方的に不意打ち的に認定しているのである。
 最高裁棄却決定は、この養豚場経営者の調書の一部を取り上げて「石川さんが読み書きできた」という認定もしている。「肉眼で観察しても別の筆記用具とは認めがたい」「「2条線痕」は判然としない」といった一方的な証拠判断もふくめて、弁護側の意見を十分聞き、すべての証拠を調べ、証拠にもとづいて認定するという刑事裁判の原則を最高裁が放棄していると言わざるをえない。第3次再審ではかならず事実調べを実現しなければならない。このことを肝に銘じておく必要がある。


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