<月刊「狭山差別裁判」383号/2005年11月>

第3次再審にむけて原点にかえった学習を強化しよう!
えん罪と差別の現実から狭山事件の真相を訴えよう!

 弁護団は国語能力の点からも石川さんが脅迫状を書いたとすることに合理的疑いがあると主張してきたが、第2次再審請求で、東京高裁の再審棄却決定、異議申立棄却決定は、確定判決の認定を変更し、事件当時の石川さんが「ある程度の国語能力を蓄積していた」とした。最高裁の特別抗告棄却決定は、さらに、石川さんが事件の前年から働いていた養豚場の元雇い主の供述調書から、「報知新聞をとっていると、この競輪予想欄を見ては、しるしをつけていた」「読売新聞も読んでおりました」「交通法規と自動車構造の本を…少し読んでいるのは見ました」という部分をもちだして、事件当時の石川さんが、「国語能力が小学校低学年程度の低位の水準にあったなどとは到底認められない」として、弁護側の主張・新証拠を否定している。
 しかし、あきらかにこの認定は誤っており不当である。石川さん自身の供述調書には、「報知新聞を見たことはあるが、競輪の欄だけしか見ない。それも前日の競輪でどんな番号が配当がよかったかを見るだけで、競輪選手の名前等は読めない」「自動車免許の本を借りたことがあるが、読めないので、(その本が)どうなったかわからない」(いずれも要旨)と述べられている。
 そもそも新聞を見ていたから脅迫状のような文書を作成することもできたという認定は飛躍がありすぎる。元雇い主も同じ調書で 「一雄が字を書くところは見ておりませんし、一雄の書いたものも見たことはない」と言っているのである。
 東京高裁も最高裁も、こうした石川さんの供述や国語能力についての鑑定書などの事実調べをまったくしていない。元雇い主の調書についても、弁護側の反論を聞くこともしないで、不意打ち的にとりあげて一方的に認定の根拠にしている。また、脅迫状が唯一の物証であったことからすれば、筆跡についての捜査資料はかなり存在すると考えられるが、弁護側の要求にもかかわらず、裁判所は検察官の手元にある証拠の開示を命ずることもしていない。弁護団が提出した識字学級での実験にもとづいた意見書についても触れていないのだ。このような審理不尽、不公平さは許されない。
 棄却決定は一方で、「漢字の知識に乏しい者が脅迫状で漢字を多用しようとした」としているが、こうした棄却決定の認定には、非識字者の存在や部落差別の現実、識字運動における文字を獲得する闘いの歴史も実際も、日本の裁判官にとっては無縁であることが表れているといえないだろうか。このような裁判官の認識の実態をルポライターの鎌田慧さんは「差別意識とその裏返しであるエリート意識がにじんでいる」と批判する。
 石川さんはみずからの生い立ちと文字を奪われていたための苦労やくやしさを訴えている。石川さんが当時、書いた文章や文字がほとんどなかったという事実、部落差別によって文字を奪われた非識字者の実態をふまえた意見書や筆跡鑑定書、そして、石川さんの生い立ちについての訴えを総合的に見れば、石川さんが脅迫状を書いた犯人でないことは明らかではないか。
 部落差別の現実は、石川さんの文字を奪われた生い立ちの中だけではない。事件当時の新聞報道や住民の意識の中にもある。石川さんを見たという目撃証言の中にもある。見込み捜査をおこなった警察や露骨な差別意識が表れている証言をそのまま調書にして証拠にしようとした検察官の意識の中にもあるといえるだろう。裁判所が、こうした現実を受けとめ事実調べをおこなうよう、さらに世論を大きくしていかなければならない。えん罪の背景にある部落差別の現実を見すえながら、いかにえん罪がつくりだされたか、なぜ、それがいまの日本の司法の中で糾されないのかを学習し、訴えていくことが必要である。第3次再審にむけて、原点にかえって学習・教宣を強化しよう!


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