<月刊「狭山差別裁判」384号/2005年12月>
棄却決定のおかしさ、不当性を徹底して暴き
怒りを力にして第3次再審闘争の体制を確立しよう!
警察の2度の家宅捜索の後に石川さんの家のお勝手入り口の鴨居から被害者のものとされる万年筆が発見されたことを寺尾判決は自白の信用性を裏付ける事実とした。2度にわたる捜索で発見されなかったのは「鴨居が背の低い人には見えにくい」場所であるから見落とされたというのである。弁護団は第2次再審請求で、捜索にかかわった元刑事7人の証言を提出、2回の捜索がベテラン刑事による徹底したものであり、見落とすことは考えられないことを明らかにした。さらに、そのなかの一人であるD元刑事の「鴨居に手を入れて調べた」「あとで万年筆が見つかったと聞いて不思議に思った」という3通の供述調書も提出した“そもそも、鴨居の高さは175.9センチ、奥行きは8.5センチしかなく、素人でも目につく鴨居をプロの複数の刑事たちが捜索もれをおこすなどということは考えにくい。現場検証をおこなった1審裁判長は 「鴨居は人目に触れるところ」「もし手を伸ばして捜せば簡単に発見し得るところ」と認めざるをえず、「かえって捜査の盲点になった」と驚くべき詭弁で死刑判決をおこなった。2審寺尾判決は、一転して「人目につきやすいところであるとは認められない」と認定をかえ、「目につきにくく見落としやすい箇所」(第1次再審棄却決定)などと見えにくい場所にされてきた。第2次再審請求棄却決定では、「見えにくい場所」という言い方ではなく、「1・2回の捜索は刑事たちに予備知識がなかったから見落とした」と言い出している。このように裁判所の認定はころころと変わっているのである。万年筆発見の不自然さと裁判所の認定の弱さが如実にあらわれている。
弁護団は第2次再審請求で、鴨居の見通しの実験にもとづく内田鑑定書も提出した。元刑事の証言や万年筆を持ち帰ったという自白じたいの不自然さなどと総合的に見れば万年筆の疑問は明らかであろう。ところが、最高裁の特別抗告棄却決定は、「実験が上記2回の各捜索とその日的、規模、方法、実施の重点等の具体的条件において同一条件であったとはいえない」と一般論でしりぞけている。内田鑑定書は、捜索の際の部屋の明るさや勝手場入り口付近に置かれた脚立などの具体的条件をふまえて再現実験をおこなっているのであり、裁判所のしりぞけかたはあまりにズサンで非科学的といわねばならない。
さらに、最高裁棄却決定は、「本件鴨居上の奥は、視点の位置や明るさによっては見えにくく、意識的にその場所を捜すのであれば格別、さっと見ただけでは万年筆の存在が分かるような場所とは必ずしもいえず、見落とすこともあり得ると認められる」などとしている。警察官の捜索はあらゆる視点から、暗いところは明るくして徹底してやるのが当然だろう。どこに何があるかわからない条件でやるのが捜索であるし、意識的に見落としのないように調べるものである。重大事件で逮捕した被疑者宅を捜索するのであるから、「さっと見ただけ」で終わるということはありえない。棄却決定のような言い方は一般論にすぎず、捜索の実際とかけ離れていることはだれが考えても明らかである。これが目撃口同我の5人の判事全員一致の判断かといわざるをえないようなズサンな内容ではないか。
問題は、こうした棄却決定を許したことを総括し、いかなる闘いが必要か、いまの司法はどうなっており、どう変えなければならないのか、徹底した議論とあらたな闘いの体制作りをしなければならないということだ。弁護団は、5月に第3次再審請求を申し立てる予定で、現在準備をすすめている。わたしたちは、弁護団の活動を物心両面でささえるとともに、徹底した棄却決定批判の学習・教宣をすすめ、その怒りを力にかえて、第3次再審請求後のあらたな闘いにむけた体制を固めよう。
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