<月刊「狭山差別裁判」386号/2006年2月>
裁判所は事実調べ・証拠開示をおこなえ!
えん罪の実態をふまえ自白の信用性を再検討せよ!
最高裁による特別抗告棄却決定は、石川さんの文書と脅迫状との間に見られる筆跡の相違を書字条件の違いによるとして弁護側の鑑定をしりぞけている。「吉展ちゃん事件の文言を参考にして、あらかじめ雑誌『りぽん』から振り仮名の付された漢字を拾い出して書き写した上、それを見ながら、3回の書き損じを経て4回目に書き上げたというのであって、その供述を前提にすれば、資料の有無、下書きの有無という点でも、文章作成の条件は、脅迫状と上申書等ではかなり異なる」というのである。棄却決定は、筆跡の相違を「書くときの心理の影響」という言い方もしているが、それだけでは足りないことを認めざるをえず、「参考資料があった」とか「下書き(練習)があった」とか言い出している。
しかし、棄却決定自身が「供述を前提にすれば」とはっきり書いているように、その根拠は石川さんの自白である。ほかの論点でもそうだが、棄却決定は、いろいろなところで、確定判決が客観的な有罪証拠とした筆跡の一致などが弁護側の新証拠によって崩れると、自白の一部を持ち出して有罪の認定を補強しているのである。しかし、何の証拠調べもやらずに一方的に認定を変えて有罪を推持するという判断方法は許されないし、裁判所が自白を援用するのであれば、自白の内容、変遷、自白にいたる経緯もふくめた自白の信用性の全面的な再検討をしなければならないはずだ。
たとえば、棄却決定は、「吉展ちゃん事件の文言を参考にした」というが、自白では、「テレビを見て吉展ちゃん事件のことを知った」とあるが「文言を参考にした」という根拠はなにもない。当時の石川さんが吉展ちゃん事件のテレビ報道を見て、あのような脅迫文を考えて作ったということも考えられない。あるいは、自白では自宅で脅迫状を書いたことになっているが、
お勝手を入れて五部屋しかない石川さんの家で、しかも、玄関先の「テレビのある部屋」で、誰にも見られずに、二日にわたって雑誌から漢字を拾い出して、練習をして脅迫状を書き上げたという棄却決定の認定もあまりに不自然ではないか。
「りぽん」を手本にしたという自白の内容も厳密に検討されていない。石川さんの自白では、「刑事さんという様な字から刑という字を書き、お礼という様な字が出ればこの刑と礼を組み合わせて刑礼という様に書いた」となっているが、雑誌「りぽん」には「刑」の字はなかった。自白はその後、「手紙に使いそうな漢字を紙に書き出しておいた」というように変遷している。そもそも、手本にしたという「りぽん」は石川さんの家にはなかった。こうした自白がとうてい信用できないものであることは明らかではないだろうか。まして、このような自白の一部をつまみ食い的に引用して、筆跡・筆記能力の違いをごまかすことは許されない。
公選法違反に問われた被告全員が無実を訴えている鹿児島県の志布志事件では、警察のひどい取り調べの実態が明らかになっている。2003年の事件であるが、ウソの自白に追い込む取り調べのやりかたは、狭山事件とまったく同じである。棄却決定に見られるような裁判所の自白依存姿勢があるかぎり、警察の自白偏重捜査は変わらないことを示している。石川さんの取り調べ課程と自白の変遷を見ていくと、捜査情報をもとに取り調べの刑事が石川さんとウソの自白を作り上げていったことがわかる。裁判所は、自白の信用性を検討するときに、こうした虚偽の自白が引き出される警察の取り調べの実態も厳しい目で十分に検討すべきである。
第3次再審請求では、事実調べ・証拠開示をおこない、自白の信用性を全面的に再検討するよう裁判所に強く求めたい。
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