<月刊「狭山差別裁判」388号/2006年4月>
原点にかえってあらたな闘いをすすめよう!
第3次再審で事実調べ・証拠開示をかちとろう!
第3次再審でわたしたちは石川さんの無実を訴えるとともに、石川さんがなぜ証拠もなく不当に別件逮捕されたのか、え
ん罪はなぜおきたのかを考えることが重要だ。弁護団は、第3次再審請求書で、捜査の違法・不当性と部落差別についても指摘している。警察は事件直後から被害者宅近くにあった被差別部落出身のAさんの養豚場にねらいをつけている。その背景には、「重い市民の口から集まった情報は、なぜか、“よそもの”と呼ばれた、ある特定の地域をさすものが多かった。いわれのない差別にもとづくものかも知れなかった」(『週刊朝日』 1963年7月12日号)と報道されたような住民の差別意識があった。
当初、捜査の重点対象だった被害者宅近辺の堀兼地区で「よそ者」とは被差別部落から移ってきた養豚業者のAさんとそこに出入りする部落の青年たちのことであった。石川さんも2月末までここに勤めていた部落青年の一人であった。5月11日に死体発見現場近くでスコップが発見されると、警察はすぐに死体を埋めるために使われたものでA養豚場のものと発表し、A養豚場関係者の捜査を公然とすすめるようになる。付着していた土についての鑑定結果が出るのは6月26日であるし、Aさんに確認を求めるのは石川さん逮捕直前の5月21日である。弁護側が指摘するように、このスコップが死体を埋めるために使われたものであり、A養豚場から盗まれたものであるとするには多大の疑問がある。Aさんとその周辺の部落青年にたいする捜査の集中は明らかに見込み捜査であった。
こうした捜査の中で警察は、5月23日に石川さんを別件で逮捕しているのである。複数犯を想定し石川さんに自白をせまっていた警察はさらに、Ⅰ養豚場につとめていたBさんやAさんら部落青年をあいついで逮捕している。そして石川さんに共犯の自白をせまっているのである。警察が早くからBさんにもねらいをつけていたことはCの目撃証言からもわかる。Cの目撃証言は、「出会い地点」付近で石川さんとBさんを見たというものだが、当初の聞き込みで「その2人の男は誰だかわからなかった」と言っていたものが、6月5日付けの供述調書では「見たその途端……石川一雄とBであることが判りました」と変わる。しかも、その供述調書では、「最初から判っておりましたが、警察にこの事を言えば、菅原4丁目の人達が集団で押しかけて来るかもしれないと思い隠すようにしておりました」と述べているのである。結局、この証言は6月30日には、「実際にははっきりしない」として否定されてしまう。石川さんが単独犯行自白をすることでこの証言は矛盾・不必要になり、警察が変更させたことは明らかであろう。こうした目撃証言の変遷は、市民の中の差別意識を利用して供述を作り出そうとしていた警察の強引な見込み捜査を示している。
こうした捜査経過からも狭山事件がえん罪であることが浮かびあがってくる。警察の捜査経過の問題は取調べや自白の信用性についての疑問につながる。ひいては、筆跡・足跡・スコップなど警察の鑑定結果や証拠物の発見についての疑わしさにもつながる問題であり、裁判所は十分な再検討をおこなう必要がある。とくに、だれもが現場を見ておかしいと感じる万年筆の発見経過について、カモイの現場検証などの事実調べをおこなうことは不可欠である。第3次再審でこうした事実調べを実現し、再審開始をおこなわせるために、一人でも多くの市民に石川さんの無実と狭山事件の真相を訴え、狭山事件の再審を求める新100万人署名を各地で集めよう!
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