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<月刊「狭山差別裁判」453号/2014年9月>

寺尾判決40年!新証拠の学習を深め
怒りをあらたに寺尾判決批判を強めよう!

 狭山事件で確定有罪判決となっている2審・東京高裁(寺尾正二裁判長)の無期懲役判決、寺尾判決から40年になる。1974年10月31日、東京高裁の寺尾正二裁判長は、無罪判決を求める多くの声をふみにじり、一審「死刑判決」を破棄し「無期懲役」を言い渡した。無実の石川一雄さんはまたしても「殺人犯」の汚名を着せられ、さらに長い獄中生活を強いられた。石川さんの最終意見陳述がおこなわれた9月26日には日比谷公園は10万人の支援者で埋め尽くされた。誰もが無罪判決を期待し、石川さんの家では風呂まで焚いて、石川さんの帰りを家族は待っていた。その期待を裏切って言い渡された寺尾判決は、今思い出しても悔しいかぎりの判決だ。石川さんは法廷で「そんな判決は聞きたくない」と叫んだ。山上弁護士は 「ペテンだ」と叫び、中山弁護士は 「部落問題はどうした」と迫った。寺尾判決はペテン判決そのものだ。寺尾判決は、石川さんの自白と客観的な事実が全く食い違っていることについて、「捜査がずさんだったから食い違いが生じた」とした。捜査を批判したように見えるが自白の矛盾をごまかしているだけだ。寺尾裁判長は、就任当初、部落問題関係の本を十数冊あげて、それを読んだと弁護団に言い、しかし判決文では、部落問題にひとこともふれなかった。そのうえ、捜査は客観的証拠に基づくもので予断偏見をもってねらいうちしたことはないと言い放った。警察官らの証人尋問と鴨居の現場検証を弁護団が求めたのに対して「見なくてもわかる」として検証をやらず、判決では「鴨居は背の低い人には見えにくい」として家宅捜索で見落としたとして、ねつ造はないと言い放った。この寺尾判決が最高裁の上告棄却によって確定有罪判決となり、石川さんにいまも「見えない手錠」をかけつづけ、半世紀に及ぶ長い裁判闘争を強いている原因そのものであることを忘れてはならない。再審請求は、この寺尾判決の誤りを新証拠によって明らかにし、くつがえす闘いだ。寺尾判決から40年、わたしたちは第3次再審請求でいまもこの不当な有罪判決と闘っていることを肝に銘じたい。
  狭山第3次再審請求は9年目に入り、この間の三者協議を通じて、逮捕当日の石川さんの上申書、手拭いなどの捜査報告書、鞄、腕時計の捜索報告書、そして取調べ録音テープなど重要な証拠が164点も開示され、無実を証明する新証拠がつぎつぎと発見された。開示された上申書を分析した筆跡鑑定、取調べテープを心理学的に分析した鑑定書など、これまで提出された新証拠は139点におよぶ。証拠開示で明らかになった新証拠によって自白の虚偽が明白になり、寺尾判決はくずれている。さらに、徹底した証拠開示をおこない、事実調べをおこなうよう東京高裁に求めたい。
  また、弁護団が開示を求める証拠物の一覧表について、河合裁判長も、証拠物はできるかぎり開示し、一覧表も開示してほしいという意向を示している。東京高検は裁判所の意向に従い、すみやかに証拠物のリストの開示をおこなうべきである。狭山事件発生から51年、石川一雄さんはいまも見えない手錠をはずすために無実を訴え続けている。寺尾判決40年の節目に寺尾判決批判を強め、再審の闘いを強化しよう。


月刊狭山差別裁判題字

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