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主張&声明

狭山再審と司法改革を結びつけてたたかおう!
冤罪犠牲者とともに再審法改正をもとめよう!

(月刊「狭山差別裁判」504号/2020年5月)

 1977年に再審無罪となった弘前事件は、1949年青森県弘前市でおきた殺人事件で、那須隆さんが無実の罪で犯人とされた冤罪事件である。自白もなく、着ていたシャツに付いていた血痕が被害者と一致するという当時の法医学の権威とされた古畑種基・東大教授による鑑定書が有罪の根拠とされた。1審は有罪の証明が十分でないと無罪判決が出されたが、2審で仙台高裁は古畑鑑定を根拠に懲役15年の有罪判決をおこない、最高裁もこれを認め有罪が確定してしまう。那須さんは服役し仮出獄後も社会の偏見差別のなかでも家族とともに再審をめざしたが、1971年に真犯人が名乗り出て再審を請求した。ところが仙台高裁は再審を棄却した。新証拠が無罪を認定するだけの「高度の蓋然性(がいぜんせい)」がなければならないが、真犯人の告白は有罪判決を揺るがすものではないというのである。

 那須さんの異議申立に対して仙台高裁の別の裁判長が、真犯人の告白は信ぴょう性があり、そもそも血痕鑑定にも疑問があるとし有罪の決定的証拠はないとして再審開始を決定し、ようやく1977年に言い渡された無罪判決は証拠のねつ造まで示唆した。何の証拠もないのに犯人とされた那須さんが冤罪を晴らすまでに28年もの歳月がかかったのだ。その間家族も含めていかに苦しめられたか、警察も検察も裁判官もマスコミも社会全体も真剣に反省しなければならなかったはずだ。

 那須さんは、再審無罪後、同じように差別偏見にさらされ人権侵害を受けた家族とともに国に対して損害賠償を求める国家賠償請求訴訟をおこした。しかし、1審は那須さんの損害だけしか認めず、控訴審の仙台高裁は国側の主張通りに那須さんの損害も認めない判決を出した。最高裁は1990年に上告を棄却、那須さんは全面敗訴させられた。那須さんは「個人の権利というものは無防備なのに国の責任は何重にも何重にもガードされている。冤罪はまた起きる。いかに国家権力が強大であるか思い知らされた。岩を素手でたたいたようだ。絶体絶命の絶望だ」と述べたという(鎌田慧著『声なき人々の戦後史』下巻P633)。この冤罪事件を取材した鎌田慧さんの著書『弘前大学教授夫人殺人事件』(旧題『血痕』)は、那須さんや家族の人生、警察や裁判所の実態をルポしながら冤罪の恐ろしさ、冤罪の原因に迫っている。

 冤罪は許されない、冤罪は家族をふくめて重大な人権侵害、命に関わる問題であるという意識が裁判官、検察官、警察官には必要だ。国連も司法関係者に対する人権教育の必要性を強調している。わたしたち自身がもっと冤罪事件の現実を知り、冤罪犠牲者の声を聞き、自分たち自身の意識も変えながら、司法に改革を求めていくことが必要だ。

 布川事件で再審無罪をかちとった桜井昌司さんは冤罪の責任を明らかにするとして国賠裁判をおこした。昨年、1審東京地裁は、検察官の証拠不開示、取調べの違法を認める画期的な判決が出され、いま控訴審を闘っている。東住吉事件で再審無罪をかちとった青木惠子さんも、冤罪がなぜ作られたのか明らかにさせるために国賠裁判を闘いつづけている。桜井さんも青木さんも誤判から冤罪犠牲者を一日も早く救済するための支援と再審法改正を訴えている。ともにたたかおう。


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