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主張&声明

57年におよぶ冤罪・狭山事件の真相、原点をふりかえろう!
東京高裁は鑑定人尋問をおこない再審を開始すべきだ!

(月刊「狭山差別裁判」505号/2020年6月)

 1963年5月23日早朝、ある日突然、石川一雄さんは警察に逮捕された。なぜ逮捕されたのかまったく訳が分からなかったという。心配する母親に「すぐ帰るから」と言ったが、その後31年7カ月、故郷の家に帰ることはできなかった。仮出獄したとき母も父も他界していた。石川さんは、いまも冤罪が晴れていないので「みえない手錠」がかかっているから、両親の墓に手を合わせられないと言う。

 冤罪がなぜおきたのか。57年前の狭山事件の報道をふりかえってみる。殺人容疑の証拠もなく別件での逮捕だったが、翌日の新聞は「女子高生殺し」の犯人逮捕と報じ、「確証ぞくぞく」「筆跡が一致」などと書いた。警察発表そのままである。さらに被差別部落を「石川の住む『特殊地区』」「用意された悪の温床」と書いた。「死体が四丁目(被差別部落)の近くで発見されたとき、狭山の人たちは異口同音に犯人はあの区域だと断言した」という記事もある。住民の差別意識とそれを拡大する新聞報道が連日おこなわれた。こうした予断・偏見をあおる差別記事をわずか半年で死刑判決をおこなった裁判官も見ていたであろう。

 警察が「確証がある」と言ったものがその後、警察の鑑識課でつぎつぎと作られ、科学捜査と言われた。狭山事件の有罪判決はこれらを客観的な有罪証拠としたが、これら筆跡鑑定、足跡鑑定、スコップ付着物や土の鑑定、血液型の鑑定など警察の鑑定のすべてが非科学的な誤った鑑定であることが、いま専門家の鑑定によって明らかになっている。

 28年後に足利事件では、警察のDNA型鑑定で無実の菅家利和さんが犯人にでっちあげられた。当時の新聞は菅家さん逮捕を「科学捜査の勝利」と書いた。しかし、再審裁判でこのDNA型鑑定が間違っていたことが明らかになった。菅家さんは警察の取調べで「証拠があるんだ。早く自白しろ」と執拗に迫られウソの自白をさせられた。狭山事件とまったく同じだ。

 警察は石川さんを別件で逮捕し、唯一犯人が残した物的証拠である脅迫状を書いて被害者の家に届けたと自白させようとした。「えらい先生が字が似てると言ってるのだから間違いない。脅迫状を書いたと認めろ」と迫っている。執拗な自白強要にたいして石川さんは「字が書けない」「脅迫状は書けない」と何度も訴えている。業を煮やした警察は、石川さんをいったん釈放、再逮捕して別の警察署の建物に一人だけ勾留し、弁護士との接見を禁止し、さらに自白を迫る。証拠開示された取調べ録音テープには、3人の警察官が脅迫状を書いたという自白を強要している取調べが録音されていた。強要、誘導された虚偽自白、石川さんを犯人と決めつけた結論ありきの警察の恣意的な鑑定が冤罪を作ったのだ。

 狭山事件では、被害者の遺体発見の後、全国の警察のトップである警察庁長官が辞任し、首相が国会で答弁するまでになる。警察は死体発見現場近くで発見されたスコップをすぐに犯人が死体を埋めるのに使ったもので、狭山市内の被差別部落出身者の養豚場のものと発表する。養豚場出入りの部落の青年の筆跡や血液型が調べられ、見込み捜査で石川さんに狙いを絞り込んでいることも証拠開示された捜査資料で浮かび上がっている。

 東京高裁は、鑑定人尋問をおこない、狭山事件の有罪証拠とされた自白と警察の鑑定を徹底して見直すべきである。
57年におよぶ冤罪の真相、冤罪を作り出したものをもう一度ふりかえり、再審を求める世論を広げよう!


月刊狭山差別裁判題字

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