(月刊「狭山差別裁判」537号/2023年2月)
60年前-ある日突然、明け方に警察が押しかけてきて、寝ているところを逮捕、石川一雄さんは、わけもわからず狭山警察署に連れていかれた。「すぐに帰るから心配しなくていい」とお母さんに言い残して。しかし、その後32年もの間、故郷に帰れず、その間に両親も亡くした。警察では、家族とも弁護士とも接見を禁止されるなかで、「犯人はおまえしかいない」という決めつけた取り調べが、手錠をかけたまま続けられ、女子高生殺害を認めるウソの自白を強要された。60年が経過するいまも冤罪を叫びつづけ、再審無罪を求めている。
埼玉県でおきた狭山事件と同じことは、その後もくりかえされる。3年後の1966年には静岡県で袴田巌さんが身に覚えのない殺人事件で逮捕され、取調べでウソの自白を強要されて死刑判決を受けた。再審請求で袴田さんが犯人ではありえないことを明らかにする科学的証拠が出され、再審開始決定が東京高裁で出された。裁判所は、有罪証拠とされた血の付いた衣類は捜査機関による捏造(ねつぞう)と指摘した。
1967年には茨城県で、桜井昌司さん、杉山卓男さんが別件逮捕され、殺人事件のウソの自白をさせられ無期懲役判決を受けた。無罪判決後の国賠裁判では、警察官、検察官の誘導や証拠隠しが暴かれ断罪された。
1990年に栃木県でおきた足利事件では、幼稚園バスの運転手だった菅家利和さんが、ある日突然やってきた警察官に無理やり警察に連行され、強引な取調べで幼女殺害を認めるウソの自白を強要された。警察庁科学警察研究所のおこなったDNA鑑定を決め手として無期懲役判決を受けた。再審請求で裁判所がおこなった再鑑定で、菅家さんと犯人のDNA型が異なることが明らかになり無罪となった。さらに冤罪はその後も続く。
そして、2018年の「大川原化工機事件」では、神奈川県にある噴霧乾燥機のメーカーの社長宅と会社に、ある日突然、警察官らが来て家宅捜索、その後、社長と元取締役、元顧問3人は、1年以上にわたって何十回も「任意聴取」を受け、1年半後に逮捕された。検察が起訴し拘置所に移されるが、外為法違反の容疑を認めない3人は1年近くも勾留される。元顧問は勾留中に胃がんが見つかっても保釈が認められず、保釈後に死去。妻は「嘘でもいいから容疑を認めて保釈が認められるようにしてほしい」と懇願したが、本人は信念を曲げなかったという。身柄を拘束し自白しなければ釈放しないと迫る「人質司法」は冤罪を作り、人の命までも奪ってしまう。
冤罪は警察、検察、そして裁判所も一体となった最大の人権侵害だ。それは、戦後も免田栄さん、赤堀政夫さんら死刑冤罪4事件や名張事件、そして、60年前の石川さんから今も続いている。ある日突然、市民が冤罪に巻き込まれる。冤罪は市民の身近にあり他人事ではない。日本の人権問題として国際的にも指摘されている。長期の勾留、「人質司法」をなくし、すべての刑事事件の全過程を録画し可視化することをはじめ、冤罪をなくすための司法改革を早急に実現しなければならない。そして、検察官の証拠開示の義務化、再審開始決定に対する検察官抗告の禁止、裁判所による事実調べの保証など誤った裁判から無実の人を速やかに救済する再審法改正も喫緊の課題だ。わたしたちは、狭山事件の再審開始、石川さんの無罪判決をめざすとともに、冤罪をなくす司法改革、再審法改正を国会に求める取り組みを全国ですすめよう。
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