pagetop

主張&声明

東京高裁は開示証拠と科学鑑定の事実調べをおこない、
60年におよぶ誤った裁判に終止符を!

(月刊「狭山差別裁判」547・548号/2023年12月・2024年1月)

 石川一雄さんは85歳を過ぎたいまも無実を叫びつづけている。

 60年以上も無実を叫びつづけている裁判とはいったい何なのだろうか。なぜ60年経っても解決しないのか。なぜ60年以上も冤罪を訴えつづけなければならないのか。

 60年前の最初の裁判ではわずか半年で死刑判決が出された。有罪の根拠は石川さんが犯行を認める自白しているということだった。やっていないことを自白するはずがないと判決は言う。

 第2審では石川さんは警察にだまされてウソの自白をしたと訴えたが、判決は警察の取り調べに問題はない、警察の鑑定で筆跡が一致した、自白した通りに被害者の所持品が見つかったなどとして無期懲役の判決をおこなった。警察の捜査、取調べ、鑑定は間違っていないという前提の判決。警察がねつ造などするはずがないという発想だろう。50年前のことだ。

 最高裁は「自白には細部に食い違いや証拠上なお細部にわたっては解明されない事実が存在する」と言いながら「総合的に評価すると被告人が犯人であることに疑いはない」と上告を棄却し、無期懲役判決が確定してしまった。その後の再審請求では、弁護団の新証拠を一つひとつバラバラにして否定し、無実を示す新事実を「こういう可能性もある」「こういう推測を容れる余地もないわけではない」などと言って切り捨てている。

 これらの判決のあと1980年代には、犯行を自白したとして死刑判決を受けた4人の死刑囚が再審で無罪となった。2010年から足利事件などあいついで無期懲役囚が再審で無罪となった。無実の人がウソの自白をする(させられる)現実、不当な取調べの実態が明らかになっているのだ。なぜ狭山事件の裁判でこの教訓が生かされないのか。

 有罪証拠とされた万年筆について、最初の裁判から、3回目の家宅捜索で発見されるという経過はおかしいと指摘された。裁判所は最初「人目につく場所だから捜査の盲点になって2回の捜索で見落とした」と言い、2審では一転して「見えにくい場所だから見落とした」と認定が変わった。再審請求で最高裁は、「さっと見ただけでは見落とす」「見る位置や明るさによっては見落とす」などと一般論で発見経過の疑問をしりぞけた。

 いつまでこんな裁判をくりかえすのだろうか。現地には当時の石川さんの家のお勝手を正確に復元され鴨居もある。警察官らが2時間捜索したら万年筆を見落とすだろうかと、鴨居の前に立って判断すればいいのではないか。

 証拠の万年筆のインクが被害者が使っていたものと異なり、被害者の万年筆と言えないのではないかという疑問も何十年も指摘されてきた。最新の科学技術でインクの元素を調べれば同じかどうか客観的に決着がつく。

 石川さんが裁判で冤罪を訴えて60年が過ぎた。石川さんはいまも無実を叫びつづけ、生きて冤罪を晴らすと訴えている。60年以上におよぶこのような不公平で不公正で誤った裁判を終わらせなければならない。わたしたちにできることは、真実を学び、それを広げ、冤罪はあってはならない、すみやかに裁判所は冤罪犠牲者を救済しなければならないと声をあげることだ。事実調べ(証人尋問とインク鑑定)を求める世論を広げ、署名を集め、要請のハガキを送ることだ。誤判の60年に終止符を打つために、第3次再審の闘いに勝利しよう。

 冤罪裁判の長期化の原因となっているいまの司法制度を変え、再審法改正を実現しよう。


月刊狭山差別裁判題字

月刊「狭山差別裁判」の購読の申し込み先
狭山中央闘争本部 東京都中央区入船1−7−1 TEL 03-6280-3360/FAX 03-3551-6500
頒価 1部 300円