「えせ同和」行為は、社会に存在する「部落は怖い」「部落は何をするかわからない」などといった差別意識や偏見を悪用し、利権をあさり、私腹を肥やそうとする行為で、装いがいかなるものであっても、真の部落解放運動とは無縁のものであり、利敵行為であることはいうまでもない。
こうした「えせ同和」団体は、部落解放同盟とは無縁の団体であり、世間の差別意識につけこみ、「同和問題の解決のためだ」との口実で、利権あさりをしている集団である。その数は、全国的に多数存在しているとされているが、正確な実態は把握されていない。団体名称は「全国」とか「日本」と名乗っていても、その実態は数人のグループであるものが多く、被差別部落とは関係のないところに事務所を置いている場合が多い。また、部落出身者がほとんどいないといっても過言ではない。そのために、都合が悪くなると「団体」名称を変えて活動を続けている場合もある。名称は「同和」団体を標榜してしているが、部落差別の撤廃や人権確立に向けた真摯なとりくみをすすめている人権運動団体とは無縁の団体である。しかも、部落問題の解決を遅らせ、妨害するきわめて悪質な団体といえる。
「えせ同和」団体が目立って増えてきたのは、1982年以降である。それは、1981年10月に「商法」が改正され、企業に寄生していた「総会屋」が法律によって締め出されることになり、その後も企業に食いつき、利権をあさるため、「同和問題や人権問題を口実にすれば企業に入り込める」として、その看板を書き変えて「えせ同和」団体に転身したものも多い。したがって、看板を変えただけで、いわゆる「総会屋」と同様の巧妙な手口で不当な金品を強要している場合もある。
近年、部落問題に真摯にとりくむ企業の増加や部落解放同盟と連携して「えせ同和」行為を封じ込めようとする関係機関のとりくみによって、一定の成果をあげてきてはいるが、長引く経済不況のもとで、さらに警戒を強める必要がある。
部落解放同盟は、こうした「えせ同和」団体の横行にたいして、誰よりも強い怒りをもって抗議している。それは、彼らの行動が結果として被差別部落や部落出身者にたいする予断や偏見をまき散らし、増幅させているからである。
しかし同時に、利権あさりの対象にされた企業や団体にも問題が存在する。一面では、被害者であるが、こうした被害は多くの場合、部落問題への正しい認識の欠如や、そのことによる差別行為に原因の一端があることが多い。「同和」といわれただけで、「かかわりたくない」との意識が生じ、「なにがしかの金品で解決できるのなら、いわれた通りに出しておこう」「部落の人びとは暴力的で何をするかわからないから、とにかく金で片をつけてしまおう」といった差別意識や偏見が「えせ同和」団体の横行を温存しているといえる。そして、被害者は「同和にえらい目にあった」「やっぱり同和は無茶をする」などといっそう偏見を増幅させ、「不当な一般化」をおこなうことによって、差別拡散を担うことになっている。
これら「えせ同和」行為に対するとりくみの基本原則は、企業や団体などで差別事件が発覚した場合、それらを覆い隠すのではなく、真摯に反省するとともに、部落解放同盟と連携することが大切である。企業や団体などの人権性、合法性、倫理性、公式性、公開性の逸脱による弱みを覆い隠そうとする行為が「えせ同和」につけ込む隙を与えるのであり、その場しのぎの対応が問題の傷口をいっそう広げてしまうことになる。そのような意味で、不当な要求に屈し、「えせ同和」行為を許してしまう企業や団体サイドの問題も大きいといわざるを得ない。
さらに、部落問題への無理解が「えせ同和」行為の背景に大きく存在している。つまり、すべての人が部落問題の理解を深め、部落解放運動や部落出身者への偏見をなくし、国民的課題としての部落問題の解決に真摯に取り組むことが重要なのである。そのことが、多種多様な形で暗躍する「えせ同和」行為か、真摯な部落解放運動かを見極める視点と感性を育てることにつながる。以上の原則をふまえつつ、法的にも現場でも毅然とした態度でとりくむことである。
最後に、部落解放同盟は今後とも、「えせ同和」行為を根絶するために、厳しい姿勢で臨むとともに、部落解放のために民間運動団体の立場から情報提供や適切な助言などをとおして、「えせ同和」行為の排除にとりくんでいくことをあらためて明らかにするものである。