部落解放同盟第59回全国大会/一般運動方針基調
三 21世紀を人権の世紀とするための今大会の意義と任務
1 第59回全国大会の七つの基本課題
① 第59回全国大会で指摘された基本課題は、つぎの七点です。
② 第一は、全国水平社創立八〇周年にあたり、八十年におよぶ闘いの経験から学ぶという点です。第二点は、差別事件にたいする糾弾闘争を強化することです。第三点は、「部落解放基本法」制定を求める闘いを部落解放・人権政策確立を求める闘いへと発展させる課題です。第四点は、「同和」行政を重要な柱とする人権行政を創造していくことです。第五点は、人権のまちづくりを推進していく課題です。第六点は、差別撤廃と人権確立を求めた国際的潮流と連帯する闘いの方向を確認することです。第七点は、これらの課題を成功裏に押しすすめていくための主体の形成を図っていく課題です。
2 全国水平社創立八〇周年にあたり、八十年におよぶ闘いの経験から学ぼう
① いまから八十年前、一九二二年三月三日、京都の岡崎公会堂に全国各地から部落の代表が結集し、「人の世に熱あれ、人間に光あれ」と全国水平社が創立されました。
② この創立大会で採択された宣言は、日本で最初の人権宣言として綱領とともに、今日なおも大きな影響を与えつづけています。なかでも「人間は勦(いたわる)べきものでなく、尊敬すべきものである」との主張のもとに、融和主義を排し、部落民自身による自主解放の集団運動を起こす必然性を強調した初心を私たちは受け継いでいく必要があります。
③ また、「人の世の冷たさが、何んなに冷たいか、人間を勦(いたわる)事が何であるかをよく知っている吾々は、心から人生の熱と光を願求礼讃するものである」として、部落の完全解放と全人類の解放をめざした先人たちの崇高な遺志を受け継いでいかねばなりません。
④ 水平社の闘いは、日常公然と存在していた差別にたいする糾弾、主として個人にたいする徹底糾弾として開始されました。やがてその闘いのなかから差別が広く社会的に存在していることが明らかにされていくにつれ、社会全体の意識の変革を求める闘いへと発展していきました。
⑤ 水平社の差別糾弾闘争は、学校や地域社会で生起した差別にたいする闘いのみでなく軍隊内での差別まで許さないものでした。それだけに支配階級による水平社にたいする弾圧は執拗で、ときにはデッチあげまでおこなわれました。
⑥ 水平社時代の闘いで、もっとも高揚をみせ、大きな成果をあげたものは、一九三三年に闘われた高松結婚差別裁判の取り消しを求めた一大闘争です。この闘いは、部落出身であることを告げずに結婚したことは結婚誘拐罪にあたるとして、香川県の部落出身の男性を有罪とした差別裁判の取り消しを求めたものです。水平社のよびかけに応えて闘争にたちあがった先輩たちは、「差別判決を取り消せ、然らずんば解放令を取り消せ」とのスローガンを掲げ、当局によるさまざまな規制をはねのけ、九州から東京までの大行動を展開し、ついには有罪とされ刑に服していた部落出身者の釈放と、差別論告や差別判決にかかわった検事や裁判官の左遷や退職をかちとりました。
⑦ 高松結婚差別裁判の取り消しを求める闘いは、部落での日常の世話役活動を基礎に、地方改善費の拡充要求など部落解放運動を広げていく「部落委員会活動」と結びつけて展開され、水平社時代には最大の組織力をもつこととなりました。長期不況下での「地対財特法」の期限切れを迎え、新たな部落解放運動の創造が求められている今日、高松結婚差別裁判の取り消しを求めた闘争と「部落委員会活動」から学ぶことは少なくありません。
⑧ 天皇制軍国主義による周辺のアジア諸国にたいする侵略戦争が拡大していくなかで、融和事業完成十か年計画も途中で立ち消えとなり、水平社運動にたいする弾圧も熾烈を極め、解散命令には最後まで抗しましたが、ついには戦争に協力することを余儀なくされることとなりました。まさに痛恨の歴史です。日本を再び戦争の道へとひきずりこもうとする危険な傾向が強まっている今日、戦争への道は差別の強化と人権抑圧への道であるという歴史の苦い教訓をしっかりとかみしめる必要があります。
⑨ 日本は、周辺のアジア諸国人民に筆舌に尽くしがたい被害を与え、みずからも広島と長崎での原爆投下に象徴される被害を被り敗戦しました。敗戦後間もない一九四六年二月、部落解放運動は部落解放全国委員会としていち早く再建されました。
⑩ 部落解放全国委員会に結集したわれわれの先輩たちは、日本国憲法のなかに部落解放をめざす文言を盛りこむための働きかけを各方面に展開しました。この結果、憲法一四条のなかに「社会的身分または門地」によって差別されないとの文言、二四条に「婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立し」との文言が盛りこまれることとなりました。
一九五一年十月、「オールロマンス差別事件」が生起しました。この事件を糾弾するなかで、部落と部落大衆がおかれている劣悪な実態こそ差別を生み出している原因であり、この実態を放置している行政こそ責任が問われるべきであることが明らかにされ、その後、行政闘争が全国的に展開されていくこととなりました。
行政闘争が燎原の火のように展開されていくなかで、しだいに部落解放運動は大衆化し、一九五五年八月、部落解放全国委員会は「部落解放同盟」へと名称を変更しました。
部落を基礎とした大衆的な行政闘争の展開によって、地方自治体レベルで「同和」行政が本格的にとりくまれだしました。やがてこのうねりは、一九五八年から本格的に開始された国策樹立を求める国民運動の展開へと発展しました。この国民運動の盛りあげに、マスコミの協力がありました。
一九六〇年八月、「同和対策審議会設置法」が公布・施行され、六五年八月、「答申」が出されました。この間、六一年の部落解放要求貫徹請願行進に代表される部落を基礎とした国民的な運動の盛りあげがありました。「同対審答申」には「同和問題の早急な解決こそ国の責務であり同時に国民的課題である」ことが明記されるとともに、「近代社会における部落差別とは、ひとくちにいえば、市民的権利、自由の侵害にほかならない。市民的権利、自由とは、職業選択の自由、教育の機会均等を保障される権利、居住および移転の自由、結婚の自由などであり、これらの権利と自由が同和地区住民にたいしては完全に保障されていないことが差別なのである。これらの市民的権利と自由のうち、職業選択の自由、すなわち就職の機会均等が完全に保障されていないことが特に重大である」との指摘がなされました。
「同対審答申」を受けて、部落解放同盟は部落問題の根本的な解決をめざす「部落解放基本法」の制定を提起し、審議会のなかにも「同和対策基本法制定」の必要性を主張する動きもありましたが、当時の彼我の力関係のなかから答申が出されてから 四年後に「同和対策事業特別措置法」が制定されました。その後今年三月末まで、名称変更と対象事業の縮小をともないながら三十三年間、「特別措置法」にもとづき事業が実施されてきました。この間、部落解放同盟をはじめとする国民運動の粘り強い政府・国会への働きかけがあったことを忘れてはなりません。
この間の闘いの経験を総括するなかで、一九七一年三月の第26回全国大会で、「部落差別の本質」「部落差別の社会的存在意義」「社会意識としての差別観念」が三つの命題として定式化されました。
一九六三年五月、埼玉県で狭山事件が生起し、真犯人を取り逃がした警察当局は部落差別にもとづく予断と偏見を利用して部落出身の石川一雄さんを別件で逮捕し、甘言を弄して自白を強要しました。この結果、一審では死刑の判決が出されましたが、その後、石川さんは無実を主張し、部落解放同盟を中心として狭山差別裁判取り消しを求める一大国民運動が展開されることとなりました。二審では、無期懲役の判決が出され、最高裁でもこれが確定しました。その後、二度にわたって再審請求がなされていますが、今日まで再審請求は認められていません。この間、一九九四年十二月には、石川一雄さんの仮出獄が認められました。
狭山差別裁判の取り消しを求める闘いのなかで、日本の警察や裁判のもつ差別性、非民主性にたいする認識が高まるとともに、労働組合や弁護士などのなかに部落にたいする関心を高めることができました。とくに、一九七五年には、部落解放中央共闘会議が結成されました。
一九七五年十一月、『部落地名総鑑』差別事件が発覚しました。この事件にたいする糾弾闘争のなかから日本の民間企業の深刻な差別体質が明るみになり、その反省のなかから東京や大阪など各地で同和問題企業連絡会が結成されることとなりました。また、労働省の責任を追及するなかから、一九七七年には、百人以上の従業者を抱える事業所に企業内同和問題研修推進員を設置する通達が出されるところとなりました。
しかし、一九九八年六月「差別身元調査事件」が発覚しました。この事件にたいする糾弾闘争によって、七百をこえる企業が採用にさいして身元調査を依頼していたこと、調査の依頼を受けた調査業者が部落差別はもとより、民族差別や思想信条にもとづく差別をしていたという就職差別の広範かつ深刻な実態が明らかになってきました。この結果、雇用と職業にもとづく差別を禁止した「ILO111号条約」の早期批准と国内法整備の必要性があらためて明らかになってきました。
一九七九年八月、アメリカのニュージャージー州にあるプリンストン大学でひらかれた第3回世界宗教者平和会議で差別事件が生起しました。その内容は、カナダとインドの宗教者が日本に存在している部落差別の撤廃の必要性を訴えたにもかかわらず、日本から参加していた宗教者の代表が「百年前の問題で、日本には部落差別は存在していない」などと発言し、これを否定したという事件です。しかも、この発言にたいして日本から参加していた他の参加者も拍手で賛同をしていたということが明るみになり、日本の宗教者の差別体質が問われることとなりました。この事件にたいする粘り強い糾弾闘争のなかから、差別戒名(差別法名)や差別墓石に象徴される日本の宗教界の根深い差別性があらためて社会的に問われることとなり、その反省のなかから一九八一年六月、『同和問題』にとりくむ宗教教団連帯会議が結成されました。
一九七〇年代後半から、部落解放同盟は、国連の人権活動との連携を開始し、「国際人権規約」批准運動にとりくみました。その結果、七九年六月、日本は「国際人権規約」を批准しました。その後、「人種差別撤廃条約」の批准運動にとりくみ、九五年十二月、加入を実現しました。この間、アメリカ、ヨーロッパ、南アフリカ、インドなどで展開されている反差別運動と連帯を重ね、八八年一月、世界の水平運動をめざす反差別国際運動(IMADR)を結成しました。反差別国際運動(IMADR)は、それまでの活動実績が評価され、九三年三月、国連の経済社会理事会との協議資格をもった国連NGOとして承認されました。
反差別国際連帯活動を展開するなかで、差別を撤廃していくための国際的な基準が明らかになってきました。その基準とは、◯ア差別は犯罪であり法律によって禁止されなければならない◯イ差別の被害者を裁判所および国内人権機関によって効果的に救済しなければならない◯ウ差別意識は教育・啓発などによって払拭しなければならない◯エ差別されている人びとが劣悪な状況におかれている場合、特別の施策によって改善されなければならない(ただし、「特別の施策」を実施することによって実態が改善されてきたならばこの措置は廃止されなければならない)◯オ異なる集団間での違いを承認し共生していかねばならない、の五点です。
部落問題解決に向けた国民的な連帯の輪の拡大、反差別・人権確立を求める国際的な潮流に学ぶなかから、「部落解放基本法案」が取りまとめられ、一九八五年五月から本格的に「部落解放基本法」制定要求国民運動が開始されました。
こうして部落解放運動は第3期に突入しました。全国水平社創立以降、果敢にとりくまれた糾弾闘争を軸とした時期が第1期です。戦後部落解放運動が再建され、部落と部落大衆がおかれていた劣悪な実態を差別の結果としてとらえ、その改善を求める行政闘争を軸として闘われてきた時期が第2期です。第3期の運動の特徴は、第1期と第2期の運動を包含しながらも、部落のなかでは部落問題解決の鍵である就職の機会均等、これと密接に結びついている教育の機会均等を実現していくことです。また、部落の外ではあらゆる差別の撤廃と人権が尊重される社会と世界を建設していくこと、このため国内外の共同闘争を強化していくことです。
全国水平社創立八〇周年を迎えた今年、八十年におよぶ闘いの教訓に学び、創意工夫をこらして第3期の部落解放運動を本格的に展開していくことが求められています。
3 差別事件にたいする糾弾闘争を強化しよう
① 全国水平社創立以降八十年におよぶ闘いの歴史を振り返ったとき、部落解放運動の原点は、差別糾弾闘争にあったことがわかります。
② 長期不況と政治の反動化、「地対財特法」の期限切れという部落をとりまく情勢の変化のなかで、悪質な差別事件が多発してくるおそれがあります。そのことは、近年各地で多発している差別落書・投書、さらにはインターネットを悪用した差別扇動に象徴されています。
③ このような状況のもとで、部落解放同盟の生命線ともいうべき糾弾闘争を強化していくことが求められています。そのさい、明らかにしておかねばならないことは、部落解放同盟によって実施される糾弾闘争は、差別をした者への恨みを晴らすものでなく、差別の非人間性、不当性を広く社会に訴え、差別を根絶し人権実現社会を創造していくための政治や行政、さらには司法などのあり方を明らかにし、一歩、一歩それを実現していく闘いであるということです。
④ 戦前の高松結婚差別裁判にたいする糾弾闘争、戦後のオールロマンス糾弾闘争、=cd=b85f部落地名総鑑=cd=ba30差別事件糾弾闘争などは、いずれも大きな成果をあげてきました。
⑤ しかし、部落解放同盟の糾弾闘争は、これらの成功したものの経験からだけでなく、幾多の失敗や権力による糾弾にたいする弾圧などを反省することのなかから発展させられてきていることを忘れてはなりません。そして、今後の糾弾闘争の展開にあたっては、今日の到達点をふまえたものでなければなりません。
⑥ 差別糾弾にあたって、何よりも必要なことは、事実の確認と、なぜその事件が差別事件なのかを明確にすることです。
⑦ このためには、可能なかぎり自治体などの関係者も入れて、限定された人数で事実の確認をしっかりとおこなうことが必要です。
⑧ 事実確認会で事実関係が明らかになったならば、なぜ、どのような理由で差別事件なのかを明らかにする糾弾要綱を作成することが必要です。
⑨ この糾弾要綱を作成するにあたっては、糾弾要綱作成委員会などを設置することが望まれます。また、糾弾要綱のなかには、事件の経過と内容、事件の差別性、事件が生起してきた原因、こうした差別事件を根絶するため求められる方策などが盛りこまれる必要があります。
⑩ 糾弾要綱が作成された段階で、糾弾会が設定されます。糾弾会の形態は、差別事件の内容や性格に対応した多様なものでなければなりません。差別事件の直接の当事者のみならず、その事件を引き起こすことになった関係者の出席を求めることも必要です。また、部落側の参加者としては、差別を受けた当事者のみでなく、差別事件の内容とのかかわりを考慮したものとすることが必要です。
糾弾会の開催の前に、糾弾会への参加者に、糾弾会の狙いやすすめ方をしっかり説明しておく必要があります。
社会的に影響の大きな差別事件の場合、差別事件に関する冊子を作成し、真相報告会などを部落内外で実施したうえで部落解放同盟のみでなく、自治体の関係者、労働組合や宗教団体、企業やマスメディア関係者の参加を要請することも必要です。
糾弾会をすすめるにあたっては、必ず進行役とおもな発言者をあらかじめ決めておくことも必要です。また、糾弾会は、事実関係の再確認、差別性の確認、原因の究明、当事者や関係者の反省、同様の差別事件を根絶するために求められる方策の究明などを含むことが必要です。
差別事件の性格と内容、相手側の対応いかんによっては、一度の糾弾会で所期の目的を達成することが困難な場合が少なくありません。その場合は、適当なところで時間を限り、第二回、第三回と糾弾会を設定していくなど、柔軟な対応をしていくことも必要です。
糾弾会をすすめるさいに留意すべき事項としては、相手側の対応によっては、ときには厳しい言葉で追及することがあったとしても、権力の介入に口実を与えるようなものであってはなりません。あくまでも、差別の不当性を訴える理路整然としたものでなければなりません。
また、糾弾会は、差別をした当事者や差別事件の関係者にたいしては、本来の人間性を取り戻すために糾弾会がおこなわれていること、部落大衆には、差別が現存していることをしっかりと見抜き、解放運動にたちあがることの必要性への理解を促すために糾弾会がおこなわれていることをしっかりとふまえて実施されなければなりません。
なお、支部や地協段階で糾弾闘争を展開するさい、必ずその内容を当該都府県連と協議して実施することが必要です。また、都府県レベルで糾弾会を実施する場合は、中央本部に報告し協議をへて実施することが必要です。さらに、複数の都府県にまたがる事件や重大な差別事件の場合は中央本部段階で糾弾会を実施します。
このほか、差別事件を引き起こしながら、当事者が確認・糾弾会にも出席しない場合、これらに出席しても、まったく反省の態度を示さない場合は、その事件を広く世論に訴えるなかで解決を図っていくことが必要です。また、現行法を活用して当局へ訴え、裁判をとおして差別事件に対応していくこと、国連人権小委員会や人権委員会、さらには人種差別撤廃委員会など条約実施機関を活用していくことも、糾弾闘争の一形態として有効な場合があります。当然のこととして、このような場合には、弁護士や国際人権法などの法律の専門家の協力を求めていくことが必要です。
糾弾会終了後は、糾弾会の反省をおこない今後のとりくみに役立てていくとともに、糾弾会で確認された差別撤廃に向けたとりくみが着実に実行されているかどうか、定期的に点検していくことも忘れてはなりません。また、重大な差別事件の場合には、差別の原因に迫る観点から、自治体や国にたいして抜本的な法制度の整備を求める闘いへと発展させることが必要です。なお、今後の糾弾闘争を展開していくために、昨年の全国大会で承認された「差別糾弾闘争強化基本方針」を活用していくことが必要です。
4 「部落解放基本法」制定を求める闘いの成果をふまえ、部落解放・人権政策確立を求める闘いへと発展させよう
① 一九八五年五月に提案された「部落解放基本法案」には、部落問題の根本的解決の重要性を明らかにする「宣言法的部分」、部落問題に関する正しい認識を確立するとともに人権意識の高揚を求める「教育・啓発法的部分」、悪質な差別を法的に禁止するとともに差別の被害者を人権委員会を設置することによって効果的に救済することを求める「規制・救済法的部分」、劣悪な部落の実態の改善を図るための事業実施を求める「事業法的部分」、部落問題の解決を図るため国および地方自治体での体制の整備と学識経験者の参画をえた審議会の設置を求める「組織法的部分」の五つの内容から構成されていました。この「部落解放基本法案」は、これまでの「特別措置法」にもとづくとりくみだけでは、部落問題の根本的な解決がおぼつかないとの反省のもとに、国際的な差別撤廃に向けたとりくみから学ぶことのなかからまとめあげられたものでした。
② 「部落解放基本法」の制定を求める本格的な国民運動を開始して十七年が経過した今日、「部落解放基本法」そのものは、まだ実現していません。しかしながら、この間の闘いによって、部落差別の撤廃のみならず、日本を人権立国にしていくため、つぎに列挙するようにいくつかの重要な成果をあげてきています。
③ 一九九五年十二月、「人種差別撤廃条約」の加入が実現し、内閣総理大臣を本部長とする「人権教育のための国連10年」推進本部が設置され、九七年七月には国内行動計画が策定されました。
④ 九六年五月には地域改善対策協議会から「意見具申」が出されました。この「意見具申」では、部落差別の現状について「解決へ向けて進んでいるものの、残念ながら依然として我が国における重要な課題と言わざるを得ない」と指摘し、部落差別が解消されたとする主張は明確に退ぞけられました。また、意見具申は、「同和問題など様々な人権問題を一日も早く解決するよう努力することは、国際的な責務である」ことを明らかにしました。さらに、「同和」問題の早急な解決は国の責務であると同時に国民的課題でもあることを明らかにした「同対審答申」の基本精神を受け継ぎ、「今後とも、国や地方公共団体はもとより、国民の一人一人が同和問題の解決に向けて主体的に努力していかなければならない」ことの必要性を指摘しました。そして、「同和問題を人権問題という本質から捉え、解決に向けて努力する必要がある」と、新たな方向性を指し示しました。
九六年「地対協・意見具申」の「基本認識」に盛りこまれたこれらの内容は、「部落解放基本法案」に盛りこまれた「宣言法的部分」や第3期の部落解放運動の闘いを反映したものといえます。
⑤ この「基本認識」のもとに、九六年「地対協・意見具申」は、「同和」問題の解決に向けた今後の具体的なとりくみの柱として、結婚問題を中心になおも根深く存在している差別意識を払拭するために教育・啓発を推進していくこと、人権侵害(差別事件)の被害者を救済するために人権擁護制度のあり方を抜本的に見直し整備すること、教育や就労などの面でなお残されている差別の実態を解決するための施策を実施していくことなどを求めました。
⑥ 一九九六年十二月、「人権擁護施策推進法」が制定されました。この法律は、人権教育・啓発の推進と人権侵害の救済が国の責務であることを明確にするとともに、これらの今後のあり方を審議するために「人権擁護推進審議会」を設置することを定めた五年間の時限法でした。
⑦ この法律を受けて、九七年五月、人権擁護推進審議会がひらかれ、九九年七月には「今後の人権教育・啓発の在り方に関する答申」が出されました。この答申には、行財政的措置の必要性は盛りこまれたものの、法的措置の必要性は盛りこまれませんでした。
⑧ これにたいして、部落解放同盟をはじめとする「部落解放基本法」の制定を求める国民運動に結集した人びと、地方自治体や企業、宗教関係者、教育関係者などからの精力的な働きかけの結果、二〇〇〇年十一月、「人権教育及び人権啓発の推進に関する法律」が議員提案立法として、衆・参両院の法務委員会で「附帯決議」を採択して制定されました。
⑨ 「人権教育・啓発推進法」の目的には、社会的身分をはじめとする差別の撤廃と人権確立が謳われ、学校・地域・家庭・職域などあらゆる場所での人権教育・啓発の推進が求められています。このため、この法律では、国、地方公共団体、国民の責務が定められ、とりわけ重要な点は、「基本計画」を策定しその実施状況を毎年国会に報告することを国に義務づけている点です。
⑩ この「人権教育・啓発推進法」は、「部落解放基本法案」に盛りこまれている「教育・啓発法的部分」が、人権という広がりをもって実現したものです。今後、真に部落解放・人権確立に役立つ人権教育・啓発が国、地方自治体はもとより、あらゆる場所でとりくまれるよう、この法律と「附帯決議」を活用した闘いを強化していく必要があります。なお、今年三月、国の「人権教育・啓発基本計画」が策定されましたが、部落問題解決に向けた国の責務が盛りこまれていない、人権教育・啓発の「中立性」をことさら強調することによって部落解放同盟をはじめとする民間団体の排除を画策しているなどの問題があります。こうしたパブリックコメントを無視した「基本計画」の問題点にたいする批判を強めるとともに、今後自治体レベルで、国を上回る基本計画の策定を求めるとりくみを強化し、国にたいしては基本計画の見直しを求めていく必要があります。
二〇〇一年五月、人権擁護推進審議会から「今後の人権救済制度の在り方に関する答申」、同年十二月には「今後の人権擁護委員制度の在り方に関する答申」が出されました。これらの答申には、新たな人権委員会設置の必要性は盛りこまれたものの、部落解放同盟や「人権フォーラム21」などから指摘されていた、部落差別などの明確な禁止、法務省から独立した人権委員会設置の必要性、少なくとも都道府県や政令指定都市単位にも人権委員会を設置すること、独自の事務局を設置すること、人権擁護委員制度を抜本的に見直し、有給化と一定の研修の義務づけの必要性、などは盛りこまれませんでした。
今年一月末、法務省は、これらの答申を受けて「人権擁護法案」の大綱を公表しました。この大綱を受けて三月、現在開会中の第百五十四通常国会に「人権擁護法案」が提出されました。この法案を分析したとき、先に指摘した諸点が盛りこまれていません。とくに、◯ア部落差別などにたいする明確な禁止が盛りこまれていない◯イ法務省の外局とされていて内閣府の外局とはされていない◯ウわずか五人の中央集権的な国のレベルでの人権委員会に限定し、都道府県レベルの人権委員会は想定されていない◯エ事務局が法務省人権擁護局や、法務局人権擁護部などからの横滑りとなっていて独立性が確保されていない◯オマスメディアの正当な報道や部落解放同盟が実施する糾弾闘争などが損なわれるおそれが強い、などの点で国連が国内人権機関に関して取りまとめた「パリ原則」をふまえたものにまったくなっていない、という問題があります。
「人権擁護法案」をめぐる闘いは、「部落解放基本法案」に盛りこまれた「規制・救済法的部分」の実現にかかわる重要な闘いです。部落差別をはじめとした差別の明確な禁止、人権委員会を法務省から切り離し内閣府の外局とすること、地域に密着した人権委員会を設置すること、適切な人材が委員として選任され、職員として採用されること、マスメディアの正当な報道や部落解放同盟の糾弾闘争などを損なわないこと、国連の「パリ原則」をふまえた世界に誇りうる法制度の整備実現を求め、人権フォーラム21、日本弁護士連合会、マスコミ関係者との連携を強化し、当面、抜本的修正をめざし断固闘っていく必要があります。
「部落解放基本法案」に盛りこまれた「事業法的部分」については、「地対財特法」期限切れにともない、基本的には一般施策を活用してとりくまれていくこととなります。そのさい、明確にしておかなければならないことは、「地対財特法」の期限切れが「同和」行政の終結を意味するものではないという点です。部落差別が存在している限り、国および自治体は部落差別を撤廃するための行政、すなわち「同和」行政を積極的に推進していく責務があります。「特別措置」か「一般施策」かは、「同和」行政を推進していくさいの手法の違いの問題です。
この点に関して「同対審答申」は、「部落差別が現存するかぎりこの行政(同和行政のこと || 引用者注)は積極的に推進されなければならない」と明確に指摘していますし、九六年五月の「地対協・意見具申」では、「現行の特別対策の期限をもって一般対策へ移行するという基本姿勢に立つことは、同和問題の早期解決を目指す取組みの放棄を意味するものではない。今後の施策ニーズには必要な各般の一般対策によって的確に対応していくということであり、国及び地方公共団体は一致協力して、残された課題の解決に向けて積極的に取り組んでいく必要がある」ことが指摘されています。なお、九六年「地対協・意見具申」は、特別措置を一般施策に移行するさいの条件として、なお残されている課題の状況、一般施策の状況、地方自治体の財政状況をふまえるとともに、これまでの成果が損なわれるなどの支障が生じることのないよう配慮することを求めています。
「同対審答申」や九六年「地対協・意見具申」をふまえたとき、国や自治体は、あらためて今日時点の部落差別の実態を明らかにするとともに、そこで明らかにされた部落差別の実態を一般施策を活用してどのように解決していくのかについて説明する義務があります。このことを求める闘いは、必然的に新たな「同和」行政と人権行政の創造を求めるものとなっていきます。
現在までのところ国は、人権に関する意識調査の実施は予定していますが部落差別の全面的な実態調査を実施しようとはしていません。また、国レベルでの政策として、部落問題の解決と人権確立社会を実現するための企画立案・総合調整機能をもったセクションを内閣府(もしくは当面は総務省)に設置することについても認めようとはしていません。
「部落解放基本法」の制定を求める十七年におよぶ闘いをふりかえったとき、「部落解放基本法」そのものの制定は困難であったとしても、この闘いは部落問題の根本的な早期解決を求める闘いであると同時に、日本を人権立国にしていく崇高な闘いでもあることがわかります。このことをふまえたとき、「部落解放基本法」制定要求国民運動を、これまでの成果をふまえ、「部落解放・人権政策確立要求国民運動」(仮称)へと発展させていくことが必要です。
今大会での討議をふまえ、今後新たに展開していく部落解放・人権政策確立要求国民運動(仮称)がめざすものは、「部落解放基本法案」に盛りこまれている内容の、今日時点での現実的な実現を軸に、日本を真に人権立国にしていくための法律や行政機構の整備などをかちとっていく壮大な闘いです。また、この闘いは、これまでの「同和」行政の成果をふまえ、人権行政の創造をかちとり、その重要な柱に「同和」行政を位置づける闘いでもあります。
この崇高な課題を実現していくためには、もう一度運動の原点に立ち返り、各部落で差別の実態(差別事件を含む)を明らかにし、要求白書を取りまとめ、市区町村にたいする行政闘争を積みあげていくこと、そのさい、周辺地域の住民との連帯を築きあげ人権尊重のまちづくりを実現していく闘いと結合していくことが求められています。
5 「同和」行政を重要な柱とする人権行政の創造をかちとろう
① 今後、「同和」行政の成果をふまえ人権行政を創造し、その重要な柱に「同和」行政を位置づけていくことを求めていくことが必要です。このためには、戦後の「同和」行政をふりかえり、その教訓をふまえることが必要です。戦後の「同和」行政の歴史をふりかえったとき、三つの時期に分けることができます。
② 第1期は、一般施策が部落を素どおりしていた時期です。部落外では水道やガスがきているにもかかわらず部落にはそれがきていない、部落外の子どもたちがかよっている学校にはプールや体育館などがあるのに部落の子どもたちがかよっている学校にはそれがないといった状況が各地でみられました。
③ 一般施策のなかに「個人負担」や「地元負担」という制度があったために、差別のために経済力を奪われていた部落を一般施策が素どおりするという結果を生みだしていたのです。
④ このことを明確に指摘したのが、一九五一年、京都で闘われたオールロマンス糾弾闘争でした。この糾弾闘争をとおして、雑誌『オールロマンス』に掲載された差別小説に描かれた京都の部落の実態は、一般施策が部落を素どおりしていたため、すなわち差別行政の結果生み出されたものであることが明らかにされました。
⑤ この結果、部落の実態に見合った施策が「特別措置」として実施されていくこととなりました。この「特別措置」は、まずは自治体レベルで、やがて「同和対策事業特別措置法」の制定によって国のレベルでも本格的に実施されていくこととなりました。この時期が第2期です。
⑥ 一九六九年に制定された「同和対策事業特別措置法」以降、今年三月末まで三十三年間、名称変更と対象事業の縮小をともないながら「特別措置法」にもとづく事業が実施されてきました。この結果、事業が実施されてきた部落では住環境面の改善や高校進学率の向上などがはかられてきました。
⑦ そして、今年四月からは、一般施策を活用することによって部落差別の撤廃をめざしていくという第3期を迎えることとなりました。
⑧ そのさい重要な論点は、「特別措置法」や「特別措置」の終了が、「同和」行政の終結を意味するものではないという点です。
⑨ 周知のように、一九六五年に出された「同対審答申」は、「現時点における同和行政は、日本国憲法に基づいておこなわれるものであって、より積極的な意義をもつものである。その点では、同和行政は、基本的には国の責任において当然おこなうべき行政であって、過渡的な特殊行政でもなければ、行政外の行政でもない。部落差別が現存するかぎりこの行政は積極的に推進されなければならない」と、指摘していました。
⑩ この指摘にあるように、「同和」行政とは、部落差別を撤廃するために実施されるいっさいの行政を意味しています。したがって、部落差別が現存しているかぎり「同和」行政は推進されなければならず、「特別措置」か「一般施策」かは、「同和」行政を実施していくうえでの手法の違いの問題です。
「一般施策」では部落差別の実態の改善が望めない場合、一時的に「特別措置」が必要となります。しかし「特別措置」を実施することによって部落の実態が改善されてきたり、「一般施策」が改善されてきた場合、「特別措置」は終了することとなります。
これからは、これまでの「同和」行政の成果をふまえ、これを発展させることによって人権行政の創造をかちとり、その重要な柱に「同和」行政を位置づけていくこととなります。
そのさい、今後の「同和」行政は、何よりもまず、部落大衆の自立支援に役立つものでなければなりません。このためには、部落大衆の悩みや要求にたいする相談活動が重要となってきます。そして、生活相談はもとより、教育の機会均等や産業・職業の機会均等を保障していくためのとりくみが重要です。
部落にたいする差別の撤廃が重要です。このためには、差別意識を払拭するための効果的な教育・啓発の推進と、悪質な差別事件にたいする法的規制と被害者の真の救済が不可欠です。
さらに、今後の「同和」行政は、部落と部落外の豊かな関係を構築していくことを支援するものでなければなりません。このためには、これまでの闘いの成果として獲得された隣保館に代表される施設を、部落と部落外の豊かな関係を構築するために活用していくことが求められます。また、これにとどまらず、部落を含む小学校区、さらには部落を含む市区町村全体を人権が尊重されるまちになるよう、「人権のまちづくり」を支援していくことが求められています。
ここで、あらためて「同和」行政をなぜなくしてはいけないかを明らかにしておきます。その理由の第一は、まだ部落差別が存在しているからです。部落と部落大衆がおかれている実態をみたとき、改善されているものの、差別は今日なお明らかに存在しています。差別意識は、結婚問題を中心に根深く存在していますし、差別事件もあとをたっていません。
第二の理由は、部落差別の撤廃に向けて、今後「一般施策」を活用していくこととなりますが、そのさい、「一般施策」に精通していることと、部落差別の実態をふまえ「一般施策」を創意工夫(改善、創設を含む)して活用していくことが求められているからです。これらのことがなければ、「一般施策」が部落を素どおりしてしまい、数年後には、再び部落と部落大衆が劣悪な状況のもとにおかれることになりかねません。
第三の理由は、これまで「特別措置」として実施されてきた「同和」行政のなかには、本来「一般施策」としておこなわれることが必要であったものを先取りしてきたものが少なくなく、今後「特別措置」を「一般施策」にしていくことが必要だからです。このことは、歴史的には、義務教育での教科書無償化が「同和」対策の「特別措置」が突破口となって実現したこと、さらに、「同和」対策の高校奨学資金が、成績条項を除いた新たな「一般施策」としての奨学資金制度として拡充されようとしていることに示されています。
「同和」行政の成果をふまえ、人権行政を創造していくさい、人権行政の中身として求められていることの第一は、部落差別をはじめいっさいの差別を撤廃していくことをめざす行政でなければならないという点です。
第二に、すべての市民が自己実現ができることを支援する行政でなければならないという点です。
第三に、部落差別の撤廃や人権確立を妨げている制度や風習をあらためていく行政でなければならないという点です。
第四には、日本国憲法はもとより、日本が締結した「国際人権規約」や「人種差別撤廃条約」などを、日常生活の場で実現していくことをめざす行政でなければならないという点です。
6 「人権のまちづくり」の積極的な推進を
① 全国水平社創立以来八十年におよぶ闘いの経験、「部落解放基本法」制定を求める十七年におよぶ闘いの総括をふまえたとき、もっとも重要な闘いの今後の方向は、部落解放運動の原点である各部落での闘いを強化することです。このためには、何よりもまず、各部落の今日的な差別の実態を明らかにするとともに、部落大衆の悩みや相談に真剣に耳を傾ける相談活動、世話役活動を強化する必要があります。
② 部落差別の実態と部落大衆の要求をもとに部落解放要求白書を作りあげ、市区町村にたいする行政闘争を展開していく必要があります。
③ そのさい、その部落だけで実現する要求もあれば、周辺地域住民との連帯を創りあげ、共通の要求として提起し、実現をめざしていく必要のあるものもあることに留意する必要があります。
④ 部落差別が地域にたいする差別であって、周辺地域住民による「ねたみ差別」を克服していくことが重要な課題となってきている現状をふまえるならば、周辺地域住民との「人権のまちづくり」をめざす共同闘争の展開は、部落と部落外の豊かな人間関係を構築していくための、きわめて重要な課題となってきています。
⑤ また、地方自治体にたいする行政闘争を展開するにあたって、地方分権が進行していること(市町村合併を含む)、情報公開が求められてきていることをしっかりとふまえていく必要があります。
⑥ このなかで、地方分権の進行に関しては、二〇〇〇年四月から「地方分権一括法」が施行されています。この結果、法律上では明治維新以来つづいてきた中央集権的上意下達型の社会から、国と自治体とが対等の関係になる分権型社会の時代へと移行することとなりました。税財政面での地方分権が遅れているという問題があるものの、二一世紀は地方自治体のはたす役割があらゆる面で大きくなってくることは間違いありません。このことは、部落差別を撤廃し人権を確立していくうえでも同じです。
⑦ いっぽう、国はもとより地方自治体レベルでも「情報公開条例」が制定され、予算の執行や人員の配置などにいたるまで、住民への情報公開が求められるところとなってきています。このことは、部落解放・人権確立を求めるとりくみにたいして予算を使い、人員を配置するさいにも同じです。
⑧ あらゆる面で地方自治体のはたす役割が大きくなってきていること、いっぽうで情報公開が義務づけられてきているという情勢を考慮したとき、「部落差別撤廃・人権確立を求める条例」「人権尊重の社会づくり条例」の制定は、きわめて重要な意義をもってきています。
⑨ 一九八〇年代の半ばから、各地での果敢な闘いの積みあげによって、二〇〇二年四月現在、七百三十四もの条例が制定されています。条例が制定されているところでは、条例を活用して実態調査の実施を迫り、審議会の開催と答申をかちとり、「同和」行政・人権行政の基本方針や基本計画を策定していくことを求めていく必要があります。また、この条例を推進していくための体制の整備を求めていく必要があります。
⑩ このためのとりくみは、その部落の具体的な実態の改善や部落大衆の個個の要求実現を求めるとりくみを基礎に展開されなければなりません。
諸般の事情で、条例が制定されていないところでも今後、広範な住民運動を構築していくなかで条例の制定を求めていく必要があります。
「人権教育・啓発推進法」では人権教育・啓発の推進は地方自治体の義務としても規定されています。また、「人権教育10年」も自治体レベルでの計画策定を求めています。そこで、この法律や「人権教育10年」の提起を活用して各自治体レベルでも、人権教育・啓発基本計画や行動計画の策定を求めていく必要があります。
地域福祉計画の策定が市町村にも義務づけられていますが、そのなかに部落差別撤廃・人権確立の視点を盛りこむことを求めていくことも重要です。
このほか、部落差別をはじめとするマイノリティ、女性の視点をふまえた「男女平等条例」の制定を求めていくことも必要です。
市町村合併に向けた動向にも、部落差別撤廃・人権確立の視点、「人権のまちづくり」の視点から注意を払い、積極的な働きかけをしていく必要があります。とりわけ、市町村合併に向けた基本方針の基礎に部落差別撤廃・人権確立、人権のまちづくりを明確に位置づけ、条例を制定することを求めていくことが必要です。
各部落を基礎とした市区町村にたいする行政闘争の積みあげが全国的に展開されていくことによって、国のレベルでも新たな人権・「同和」行政の展開が迫られてくることとなるのです。なお、今後の行政闘争の展開にあたっては、昨年の全国大会に提起した「行政闘争強化基本方針」を活用していきましょう。
7 反差別・人権確立を求める国際的な潮流との連帯強化を
① 全国水平社以来の反差別国際連帯のとりくみ、とりわけ一九七〇年代後半からとりくまれた闘いによって、日本は国連の採択した「国際人権規約」や「人種差別撤廃条約」などを締結するところとなってきました。
② これらの条約は、日本では締結した時点で少なくとも憲法のつぎに位置する上位の国内法となるとともに、定期的にその条約の国内での実施状況を国連に報告する義務が生じることとなっています。そして日本政府が提出した報告書は、それぞれの条約にもとづいて設置された委員会で審査され、勧告をともなった報告書が国連総会に公表されることとなっています。
③ 日本政府は、これまで「国際人権規約(自由権規約と社会権規約)」や「人種差別撤廃条約」などに関する報告書を提出し、それぞれの委員会で審査を受けています。この結果、いずれの委員会でも部落差別をはじめとする日本に存在する差別の現状についての質問が出され、政府の責任あるとりくみの勧告が求められるところとなっています。そのさい、部落解放同盟をはじめとするNGOからのレポートが活用されています。
④ なかでも、昨年三月におこなわれた人種差別撤廃委員会での審査では、「人種差別撤廃条約」の対象には部落差別は含まれないとした日本政府の見解とは違って、委員会はこの条約の対象に部落差別が含まれるとの見解を明らかにし、この条約をふまえたとりくみを政府に勧告した点は、今後の私たちの闘いにとって重要です。
⑤ 条約にもとづく委員会での審議のみならず、国連・人権の促進および保護に関する小委員会(人権小委員会)でも、部落差別やインドのダリットにたいする差別などが取りあげられるようになってきました。とくに、二〇〇〇年八月には、「職業と世系(門地)にもとづく差別に関する決議」がされ、これらの差別が国際人権条約によって禁止された差別であることが明らかにされるところとなってきました。
⑥ さらに、このような差別が世界のどの地域にどのような形で存在していて、その差別を撤廃するためにどのような法制度が整備されているかなどについての調査が人権小委員会のグネセケレ委員(スリランカ)に依頼され、二〇〇一年八月、インド、スリランカ、ネパール、パキスタンで存在しているダリットにたいする差別とともに、日本の部落差別が報告のなかに盛りこまれました。今後、アフリカや南アメリカにも存在しているといわれている「職業と世系(門地)にもとづく差別」の解明が求められています。
⑦ 昨年八月から九月にかけて、南アフリカのダーバンで国連の主催で反人種主義・差別撤廃世界会議がひらかれました。この会議では、アフリカを中心に存在してきた植民地支配と奴隷制の問題、イスラエルによるパレスチナ人民の抑圧の問題とともに、日本の部落差別やインドのダリットなどにたいする「職業と世系(門地)にもとづく差別」が中心的なテーマとして取りあげられました。この結果、日本の部落差別やインドのダリットにたいする差別など「職業と世系(門地)にもとづく差別」を撤廃していくことの必要性が、NGO宣言と行動計画のなかに明確に盛りこまれました。また、政府間会議の「宣言」と「行動計画」のなかにも、いくつかのパラグラフに「世系(門地)」にもとづく差別の否定が盛りこまれました。
⑧ 二一世紀を迎えた今日、部落差別の撤廃は文字どおり国際的な関心事項となってきています。これは部落差別の撤廃を展望していくうえできわめて有利な条件です。
⑨ 人種差別撤廃委員会で「descent(世系・門地)」に関する一般的勧告を採択することを要請していくとともに、「人種差別撤廃条約」の対象に部落差別が含まれることを日本政府に認めさせ、この条約を受けた国内法の整備などを求めていくためのとりくみを強める必要があります。また、雇用と職業の差別を禁止した「ILO111号条約」の早期批准と国内法整備を求めていくことも重要です。
⑩ これまで獲得された一連の成果の背後には、部落解放同盟の長年におよぶ国際連帯活動の積みあげと、反差別国際運動(IMADR)や国際ダリット連帯ネットワーク(IDSN)をはじめとした部落解放同盟に連帯する国際NGOの活発な働きかけがありました。
国際連帯活動のこれまでの成果をふまえ、今後いっそう反差別国際連帯を求めるとりくみを強化していく必要があります。このため、部落解放同盟独自の国際連帯活動を強化するともに、反差別国際運動(IMADR)のいっそうの強化のためにも積極的な役割をはたしていく必要があります。
8 第3期の運動を創造していくための主体の強化を
① 一昨年の全国大会で、第3期の部落解放運動を担うための同盟組織への転換が求められているとして、つぎの諸点が提起されました。
② まず、一人ひとりの部落大衆の自己実現を支援する同盟組織への転換です。
③ ついで、部落を核として市町村全体、都府県全体を人権が尊重されたまちに創り変えていく闘いの先頭に立つ同盟組織への転換です。
④ 第三に、「特別措置」のみに寄りかかった運動ではなく、一般施策の活用と創造にとりくむ同盟組織への転換です。
⑤ 第四に、情報化社会の到来に対応できる同盟組織への転換です。
⑥ 第五に、少子・高齢化社会の到来をふまえた同盟組織への転換です。
⑦ 第六に、国際化時代の到来をふまえた同盟組織への転換です。
⑧ 第七に、ボランティア・NPO時代の到来をふまえた同盟組織への転換です。
⑨ 第八に、多様な部落の歴史と実態をふまえた同盟組織への転換です。
⑩ 今年は、第57回全国大会で提起した八点の転換に加え、第九に、部落解放同盟内に存在している女性差別を払拭し、女性の積極的な参画をえた同盟への転換をめざします。
さらに、第十として、八十年におよぶ伝統をふまえ、部落の完全解放と人権確立社会に向けた闘いの先頭に立たねばならない部落解放同盟の、社会的信用を失墜するような腐敗と不正を許さない同盟組織への転換が必要です。
全国水平社創立八〇周年の年、「地対財特法」が期限切れとなり、新たな「同和」行政と人権行政を創造し、日本を人権立国にしていくための闘いを積極的に展開していかねばならない今年、ここに掲げた同盟組織の転換をかちとり、第3期の運動を本格的に創造していきましょう。