『別冊宝島Real
同和利権の真相』への見解
部落解放同盟中央本部
宝島社が発行する『別冊宝島Real』シリーズの『同和利権の真相』『同和利権の真相2』にたいする部落解放同盟中央本部の見解(4月12日)を掲載する。(大見出しと中身出しは本誌編集部)
看過できないエセ「ジャーナリズム」
スキャンダラスなこれまでのシリーズ
出版物を売るための大衆迎合に満ちる
日共=「全解連」の別働隊の役割
反論するに値しない
まず最初に断っておきたいが、全国水平社創立以来80年以上の歴史と伝統を持つ部落解放同盟として、『別冊宝島Real』のようなエセ「ジャーナリズム」ともいわれる出版物に、まじめに正面斬って反論するつもりは毛頭ない。
『別冊宝島Real』のこれまでのタイトルは、「『困った』裁判官」「アイドルが脱いだ理由」「西本願寺『スキャンダル』の真相」「立花隆『嘘八百』の研究」「モンダイの弁護士」「まれに見るバカ女」などなどである。出版物を売るための、一方的で大衆迎合的なものである。これらのタイトルのなかで書かれた組織や人びとから反論などがおこなわれた事実はほとんどない。おそらく多くの識者が真撃に反論するに値しないと考えているのであろう。事実、私たちもそのように考えていた。
激励と怒りの多数の声
しかし、多くの市民や法曹関係者、労働組合、宗教団体、経済界、地方自治体などの団体、まじめに部落問題にとりくんでいる方がたから「あのような部落解放同盟への誹誇中傷を許してよいのか」「部落差別を助長し、多くの市民が誤った認識をもってしまうではないか」「多くの点で事実と違う」「あまりにも一方的で不当に一般化しているではないか」などなどの激励と怒りの多数の声が寄せられた。
これらの声に応えるために、私たち部落解放同盟としても部落差別撤廃のとりくみが逆行しないよう、若干の見解を発表しなければならない、と考えるようになった。また、他のタイトルの内容と違って、部落差別の場合、既存の差別意識があり、差別的情報を受け入れやすい土壌が存在していることも「見解」を発表しなければならないと考えた一因である。
差別意識に迎合し
情報をわい曲
一般的にデマが伝播していく過程は、平準化といって事柄の一部分だけを単純化して抜き出し、その部分をことさらに強調し、さらに社会的な偏見や差別意識に迎合する形で、情報をわい曲することである。
つまり、社会的な偏見や差別意識が存在しているもとでは、容易にデマや差別的情報が伝播しやすいのであり、部落解放同盟にかかわる問題は、これまでの日本共産党=「全解連」の差別キャンペーンによって、そのような土壌が部分的に形成されている。ちなみに最初に出された『同和利権の真相』は、そのほとんどが日本共産党の機関紙である「しんぶん赤旗」と日共系の「民主新報」「○○民報」などの過去の記事を一挙に掲載したものである。その意味で『別冊宝島Real・同和利権の真相』は、日共=「全解連」の別動隊機関紙の役割を部分的に担っているともいえる。また、『同和利権の真相2』の内容も日共=「全解連」の活動と連動したものである。
地道な活動で反論
私たち部落解放同盟は、これまで日共=「全解連」による差別キャンペーンにたいしてほとんど反論してこなかった。なぜなら、デマで塗り固めた差別キャンペーンにたいして、地道な活動で反論することによって克服できると考えたことと、日本共産党のような財政力や宣伝力がなかったからである。事実、日共=「全解連」の妨害をはね退け、差別キャンペーンがあっても部落解放運動を着実に前進させてきた。このような姿勢を今後も堅持することはいうまでもないが、エセ「ジャーナリズム」ともいうべき商業雑誌に「人権マフィア化する部落解放同盟」と書かれたことに関しては、看過することができないと考えたからである。
許せないレッテル張り
米国の宣伝分析研究所が、ナチス・ドイツなどの宣伝を分析して明らかにした政治宣伝「7つの原則」は、その第1に、「ネーム・コーリング」(呼び名・レッテル張り)をあげ、攻撃対象の人物や組織・制度などに、増悪や恐怖の感情に訴えるレッテルを張るといった手法を紹介している。日共=「全解連」による「解同暴力集団」という呼び方は、まさにこれにあてはまる。『同和利権の真相2』では、これが「人権マフィア」という表現になっただけである。
同原則の第6は、「いかさま」という手法である。攻撃対象の不都合なことがらを極大化し、攻撃対象の積極面をまったくいわないことであるとともに、自身の都合のよいことがらを極大化し、自身の不都合な事柄をいっさいとりあげないことである。『同和利権の真相』は、これらナチス・ドイツがおこなった、この「政治宣伝の原則」を忠実に実行している。
人権の実現に悪影響与えるもの
写真の説明すら
重大な過ち
この「見解」では本文の内容が集約的に書かれている「INTRODUCTION(イントロダクション)」(はじめに)「人権マフィアたちの″宴″」を中心に私たちの所見をのべる。
たとえば、本書では写真の紹介文すら重大な過ちが存在する。そんな雑誌に部落問題を語る資格はないと考える。
本書の21ページに掲載されている牛の陶器の置物のような写真がある。このような写真が、なぜ突然掲載されているのか理解できないが、写真のアングルからみても同和地区にたいする偏見をあおるような意図が見え透いている。その写真には「芦原駅周辺の同和住宅敷地内で」と説明が付いているが、この住宅は同和地区内に建ついわゆる「同和住宅」ではなく、一般の市営住宅である。まともなマスメディアなら、このようないい加減な「説明書き」をすることはない。これらのことが部落差別の拡散につながることが理解できないのであろうか。
独善的姿勢と
一方的主張
しかし、本書の「INTRODUCTION」では、「基本的な事実が、長年にわたるマスメディアの弱腰な姿勢によって、封印され続けてきたからである」「反面、この問題に対する『タブー意識』の強さが、マスメディアの間では相変わらずだと痛感させられた」と、多くのマスメディアを批判している。自身の問題点を棚上げし、多くのマスメディアを標的にするのは、厚顔無恥以外の何ものでもない。日共=「全解連」の独善的姿勢とまったく同一である。多くのまじめなマスメディアは、事実を正確に検証しなければ報道しない。誤った事実を報道することによって、多くの市民の人権を踏みにじることになるからである。そのような行為はマスコミファッショにつながる。多くのマスメディアの真撃な報道姿勢を「弱腰な姿勢」「『タブー意識』の強さ」と捉えるほうに問題があることはいうまでもない。
彼らの主張からすると部落解放同盟と協力してとりくみをすすめる多種多様な多くの社会的団体、識者、市民は「人権マフィア」の協力者ということになる。
かつて、部落解放同盟が中心的な役割をはたして創立した反差別国際運動(IMADR)は、現在、国際連合が認める国連NGOにもなっている。国連経済社会理事会のもとにある国連NGO委員会の審査のときにも、日共=「全解連」は妨害活動をおこない、国際社会からも多くの批判を浴びた。国連NGOに認められたのは、私たちの地道な国際活動が国際社会で幅広く認知された結果である。彼らの主張からすれば、国連も「人権マフィア」の協力団体ということになってしまう。
偏見を扇動するのは
やめるべきだ
「INTRODUCTION」(初版本)では「解放同盟は、同特法の消滅以降、『同和団体』から『人権団体』へと衣替えした。たとえば大阪府では、解放同盟による同和事業の独占、乱脈同和行政の元凶になってきた『大阪府同和促進協議会』(府同促)(正しくは財団法人大阪府同和事業促進協議会である)が消滅し、代わって『大阪府人権協会』(人権協)が設立された。人権協は、その内実を見ればわかるように、府同促となんら変わるところのない解放同盟のダミー団体である。その意味するところは、これまで『同和問題』の枠内に収まっていた解放同盟の利権あさりが、『人権問題』全般に広がり始めたということだ」と書かれている。
明確にしておくが、部落解放同盟は、過去にも現在にも部落差別の撤廃をめざす団体であり、そのためにも、人権確立のために運動を展開する団体である。その意味でもともと「人権団体」であり、衣替えしたわけでもなく、今後も部落差別の撤廃をめざすいわゆる「同和団体」であることに変わりはない。
また、日共=「全解連」が使ういつものフレーズである、「乱脈同和行政」の元凶になってきたという「府同促」は50年の歴史を閉じて、「大阪府人権協会」になったが、「府同促」は彼らのいうような乱脈同和行政の元凶とはまったく逆であった。
社会に貢献する
大阪府人権協会
01年9月に大阪府同和対策審議会から提出された「大阪府における今後の同和行政のあり方について」の答申では、「府同促は、同和事業の実施に際し、当事者の住民参加の方途として、同和地区の実態と同和地区出身者の実情を的確に把握し、必要な調整を行うなど、同和行政の円滑かつ効果的な推進に寄与してきた」と明記されている。この審議会には各党の大阪府会議貝や学者、府民代表をはじめ日本共産党や「全解連」の代表も委員として参画しているのである。いったいなにを根拠に「乱脈同和行政の元凶」といっているのだろうか、誹譲中傷もここまで乱脈になれば、あいた口がふさがらない。
「府同促」がそのような団体でないことは明白であるが、(財団法人)大阪府人権協会にたいしても「人権協は、その内実を見ればわかるように、府同促となんら変わるところのない解放同盟のダミー団体である」とまでいっている。事実をみれば明白であるが、「府同促」の役員構成と大阪府人権協会の役員構成は大きく異なる。いったいどこをみれば、このような誹譲中傷ができるのであろうか。「府同促」も大阪府人権協会も「解放同盟のダミー団体」などではなく、名実ともに独立した人権団体である。つけくわえるまでもないが、大阪府人権協会の現会長は日本弁護士連合会の元会長であった中坊公平弁護士であり、「府同促」の初代会長も後に日弁連の会長を務めた故和島岩吉弁護士であった。彼らの弁を借りるなら、日弁連も「人権マフィア」の一員ということになるのだろうか。
彼らの矛盾している点は、人権協を「解放同盟のダミー団体」といいながら「INTRODUCTION」(初版本)で「また、もっと深刻なのは、人権派の重要人物が、この人権協に取り込まれていることだろう。たとえば、人権協の委員に就任したのは、人権派の弁護士として鳴らし、横山ノック・セクハラ事件を『権力犯罪』とまで指弾した、原告側弁護団長である」とのべている。正確には「人権協の委員」ではなく「役員」であるが、本来そのような人権派の女性の弁護士が役員になっていることを考えれば、素晴らしい人権団体ということにならないのだろうか。そろそろ偏見と一面的な視点から脱却しないと人権の実現に悪影響を与えることを強調しておきたい。
市民はもう
飽き飽きしている
さらに、ひきつづいて「INTRODUCTION」で「解放同盟が『同和問邁』のみならず『人権問題』のすべてを牛耳るまでの権力を手に入れようとしているのは間違いない」と書かれている。「人権問題のすべての権力」とはなんであるのかが理解しにくいが、私たち部落解放同盟にたいする日共=「全解連」が扇動しているようなステレオタイプ的な見方は、一部の日本共産党支持者には賛同されても、多くの市民はもう飽き飽きしている。
私たちは、確かに「人権の時代をリードする部落解放運動」や「社会に貢献する部落解放運動」を推進しようと考え、現実にもそのような方針で運動を展開している。私たちが人権問題全般に貢献しようとすることが、なぜ「『人権問題』のすべてを牛耳るまでの権力を手に入れようとしている」という表現になるのか理解できないだけではなく、怒りすら感じる。
「イタリア刑法」まで
もちだして
きわめつけは「イタリア刑法第四一七条がいう『マフィア型結社』になりつつある運動団体」「その本性は、まさに″人権マフィア″と呼ぶしかないものだ」というくだりである。先に政治宣伝「7つの原則」の一つである「ネーム・コーリング」を紹介したが、「マフィア型結社」や「人権マフィア」というレッテル張りは、「ネーム・コーリング」以外のなにものでもない。かつてヒトラーが攻撃対象の組織、人物などがいかに極悪であるかを印象づけるために用いた手法そのものである。「マフィア」という言葉がもつ多くの人びとの印象を最大限利用し、誤った印象を植え付ける以外のなにものでもない。多くの善良な市民は「イタリア刑法第四一七条」など知る由もない。それをわざわざもちだして権威付けていることも大きな問題である。
いわゆる暴力団のマフィア化とは「①秘密組織化②テロ化③政治・経済の支配」の3つを指すといわれているが、私たち部落解放同盟のどこにそのように定義する根拠があるのか示していただきたい。
正当な評価誤らせる意図的記述
メディア・リテラシー
の視点でも問題
ところで、本書はメディア・リテラシーの視点からも看過できない。
メディア・リテラシーとは、メディアが構成する映像や文字の「世界」を批判的に理解することであり、メディアを使って正確に情報発信していく能力のことである。
現実を正確に理解するためには、なににもましてメディア・リテラシーが重要であるが、差別撤廃・人権確立を考えていくときにも現実を正確に捉え、正しく情報発信していくことが、きわめて重要なのである。
たとえば、日日のニュース報道も、その媒体がもつ特性によって、とりあげる内容も大きく異なる。新聞と週刊誌、雑誌、テレビ、ラジオ、インターネットのサイトなどで同じ内容をとりあげても視点や切り口が大きく違い、同じニュースに触れても、媒体によって人びとの捉え方や感じ方がまるで違う場合もある。メディア企業の考え方、記者の能力・考え方・興味、国家体制、読者層、経営状態、外部機関との関係などのさまざまな要素によって報道や放送内容も影響を受ける。
同じ事件を追っても取材先をどこにするのか、コメントのどの部分をどのように切り取るのかによって、視聴者や読者の印象はかなり違う。
意図的な一面的記述
多くの記者や制作者は現実を正確に伝えようと真摯に努力している。それでも事実を伝えるためには、事実を切りとらなくてはならない。そのときに記者や制作者の意図とは別に、主観や価値判断が入りこまざるを得ない。また、主観なくして事実を切りとることはできない。そのことをふまえたうえでメディアを読み解くことが大切なのである。
情報化の進展は、メディアの影響がますます大きくなる時代であり、私たちの価値観の形成や考え方、世論形成に圧倒的な影響をもつ。その意味で『同和利権の真相』『同和利権の真相2』のように意図的に一面的な記述をすることは大きな問題をもち、正当な評価を誤らせる。
私たちが現実を把捉する場合、社会の数多くのメディアをとおした情報から分析することになる。しかしその情報が多くのフィルターをかぶって私たちの前にあらわれる。情報を分析する私たちの頭も教条や偏見という枠をもっていることがあるが、情報そのものも数多くの色に染まっている。とくに政治や政治宣伝にかかわる情報は顕著であり、社会的な被差別集団に関する情報は偏見や差別的フィルターをかぶっていることが多い。『同和利権の真相』『同和利権の真相2』はその最たるものであるともいえる。
「不当な一般化」を
おこなう差別宣伝
私たちは、私たちが推進する部落解放運動が完全無欠であるとは考えていない。多くの組織や市民が知るように過ちは過ちとして認め、非は非として認め、謙虚に反省してきた。そして、真摯に謝罪もし、厳正な処分もしてきた。この姿勢は過去、現在、未来でも不変である。しかし、個個の部落出身者の過ちを、部落解放同盟や部落出身者全体の問題とすりかえる、「不当な一般化」をおこなう差別宣伝や行為に関しては差別撤廃の視点で断固として退けるものである。
私たちも多くの市民と同じように、民主主義を実現するために「表現の自由」は憲法で保障された、きわめて重要なものと認識し、ほかの自由とともに「表現の自由」を守るために、今後も部落解放運動を通じて努力を積み重ねていく決意である。しかし、私たちが、差別なく自由に暮らせる社会にするためにも、「表現の自由はあっても、差別する自由はない」との観点で、粘り強く差別撤廃のとりくみを推進することに変わりはないことも、明らかにしておきたい。
関係者に心から感謝
おそらく、彼らの表現で本書を批判するとしたら、「同和問題を食いものにして一体『同和利権の真相』『同和利権の真相2』でいくらの利権を得たのであろうか」ということになるのであろうか。私たちはそのような批判はおこなわない。
最後に、多くの心配していただいたみなさまに心から感謝し、今後とも部落解放運動へのご協力をお願いし、私たちの見解とするものである。
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