鳥取県情報公開審議会の答申を批判する
鳥取県情報公開審議会による全国学力・学習状況調査結果の公開を認める答申にたいし、教育文化運動部は7月15日付で声明を出した。その全文を紹介する。
鳥取県情報公開審議会は7月8日、文部科学省が昨年度実施した全国学力・学習状況調査結果にたいする鳥取県教育委員会の非開示決定について、決定の取り消しを求める異議申し立てを認める答申を出した。
今回の答申の内容は、学力調査結果の開示と情報公開条例との整合性をもとにした「制度論」に立ったものであり、学力調査結果の公開がもたらす「序列化」や「過度な競争」など「教育論」の立場からの懸念については、「開示」と「公開」は異なるとし、煽る者がいなければ問題は生じないという、はなはだ楽観的すぎる中身となっている。
全国学力・学習状況調査の結果の取り扱いについては、文部科学省も再三、学校の序列化や過度の競争を引き起こすべきでなく、結果の公表の基本は都道府県段階に留めるべきであるとの認識を示してきた。
また、今回の決定に関しては、鳥取県市町村教育委員会研究協議会、鳥取県教職員組合、全国連合小学校長会など、教育現場に責任をもち、深く関わる多くの関係者らからも非開示を求める要請が県教委におこなわれている。
つぎに答申の問題点と学力調査結果を公開することの問題点を指摘する。
答申の問題点
情報公開審議会答申の最大の問題点は、「開示により生徒、保護者及び地域の教育に対する意欲を高め、教育の質を向上させることに有益である」として開示のメリットを何の検証もなく、きわめて安易に楽天的に肯定し、マイナス面を過小評価している点である。公文書を公開することに「公益性」がなければならないことはいうまでもないが、申し立て人の「開示により生徒、保護者及び地域の教育に対する意欲を高め、教育の質を向上させることに有益である」という開示を求める主張は、一見もっともな内容に聞こえるが、根本的な誤りが存在している。
これは、教育によって、すべての保護者・子どもが一緒のスタートラインに立ち、平等な条件のもとで、競争しているという考え方を前提にしており、保護者・子どもやその地域の経済社会文化的条件は千差万別であるという現実を無視している。
こうした不平等な条件のもとで、競争している結果、個個の子どもや学校の学力は、子どもや保護者・教員の努力だけでなく、保護者や地域の経済社会文化的条件にも大きく左右されている点を、まったく欠落させている。07年度の全国学力・学習状況調査結果でも、学校の就学援助率と平均正答率の相関性が明確に示されている。また、部落の子どもたちの低学力の背景にある問題など、同和教育の営みが明らかにしてきた事実をまったく理解していないのである。
保護者や地域の経済社会文化的条件が不利であるにもかかわらず、平均以上の学力保障に成功している学校の存在が明らかになってきている。そうした学校(欧米では「効果のある学校」とよばれている)の営みの特徴点こそが、豊かな学力保障を求める保護者・地域や教育関係者にとって重要な鍵であることを見失わせている。
したがって市町村別・学校別の結果を開示しただけで、「生徒、保護者及び地域の教育に対する意欲を高め、教育の質を向上させること」にはならない。もし審議会答申が正しいと考えるならば、根拠なしに「漠然」というのではなく、過去4回の県基礎学力調査でどう検証されたのかを責任をもって明示すべきである。
学力調査結果を公開することの問題点
さらに、市町村別・学校別の結果を開示したことの現実的な影響は、答申の考え方とは逆方向で、第1に、教育の質の向上を妨げているのは、頑張らない学校や教員さらには一部の保護者であるという「不信感」や「諦め感」を保護者や地域に植付け、文句や批判はいうが建設的なとりくみにはみずからは関わらないという保護者や地域を作り出してきたと思われる。近年、「モンスターペアレント」といわれる保護者の存在が大きな社会問題になっているが、実はそれを作り出してきた責任の一端は、教育の世界にいたずらに「消費者主権」と「市場原理」を持ちこんできたこうした教育施策にある。
第2に、保護者による学校や教員への批判や文句は、学校や教員の保護者への場当たり的な対応と消耗感、学校間・教員間のいたずらな競争心理の拡大を生み出してきたと思われる。そして審議会答申も認めているように、学校別の結果をホームページ上で公表したり、学校選択制の実施等の条件が加われば、容易に学校の序列化や過度の競争を引き起こすのである。「油が撒かれていても、火をつけなければ大丈夫」という審議会答申の考え方は、あまりにも無責任といわざるを得ない。
08年7月15日
部落解放同盟教育文化運動部