半世紀をむかえる狭山闘争の勝利に向けた決議
狭山事件はことし事件発生から50年、半世紀をむかえる。1963年5月23日、石川一雄さんは逮捕され、えん罪におとしいれられて、32年もの獄中生活を強いられた。張り込みのなかで犯人を取り逃がすという大失態に世論の非難をあびた警察は、女子高校生殺害の証拠がないまま、別件逮捕を強行した。そして、警察の代用監獄で連日厳しい取り調べをおこない、石川さんに自白を強要した。無実を訴える石川さんにたいして、警察、検察は保釈後ただちに再逮捕し、特設の取り調べ室に移し、弁護士との接見を禁止してウソの自白をさせたのである。被害者の遺体が被差別部落近くで発見され、住民のなかには「犯人は部落民」という偏見に満ちた声が広がった。石川さん逮捕後、マスコミは、「石川の住む特殊地区」「犯罪の温床」「環境が生んだ犯罪」と報道し、石川さんの人格を攻撃する差別記事を掲載した。狭山事件は典型的な虚偽自白によるえん罪である。別件逮捕、密室での長期の取り調べ、弁護士接見の禁止という、えん罪を生み出すあらゆる問題が見出される。同時に部落差別にもとづく見込み捜査が生み出したえん罪である。
わたしたちは、石川さんがえん罪におとしいれられて半世紀をむかえるいま、狭山事件の原点をふりかえるとともに、なんとしても、狭山事件の再審を実現し、石川さんにかけられたえん罪を必ず晴らすことを確認しなければならない。
2006年5月にはじまった第3次再審請求の闘いは、弁護団、石川さんの闘い、100万人をこえる署名に示された市民の声、学者、文化人、ジャーナリストらの支援によって、大きく前進した。2009年の東京高裁の証拠開示勧告を受けて、これまで100点の証拠が開示され、逮捕当日の上申書や当時の捜査報告書などによって、石川さんの無実はさらに明らかになった。殺害現場に隣接する畑で事件当日、農作業をおこなっていた0さんの「悲鳴は聞いていない」という証言、石川さんは脅迫状を書いていないとする多数の筆跡鑑定、自白の虚偽を示す科学的鑑定などの新証拠を弁護団は東京高裁に提出し、徹底した証拠開示と事実調べを求めている。狭山事件が50年をむかえることし5月以降は、東京高裁第4刑事部が、弁護団提出の新証拠について、鑑定人尋問などの事実調べをおこなうかどうか、最大のヤマ場となる。
44年前の部落解放同盟第24回全国大会で、石川さんの両親はわが子の無実を訴えた。これをうけて、1審死刑判決は部落差別にもとづく誤判であるとして、公正裁判を求めて、「一人は万人のために 万人は一人のために」を合言葉に、わたしたちは全国行進をおこなった。そして、労働者、宗教者、文化人などと幅広い共同闘争をすすめ、司法民主化の闘い、あらゆるえん罪との闘いと結びつけたとりくみを全国で展開した。わたしたちは、半世紀をむかえる今年こそ、この狭山の闘いの原点にかえって、狭山闘争の勝利に向け、最大のヤマ場を全力でとりくむことを誓い合う。全国各地でえん罪・狭山事件50年と再審開始を訴えるさまざまな闘いをすすめよう。
右 決議する。
2013年3月4日
部落解放同盟第70回全国大会