第三次再審請求を申し立てて以来、今年で10年。此の間、私の無実性を示す証拠が沢山発掘、発見され、取り分け検察側から開示された事件発生当時の初動捜査時の捜索資料をはじめ、逮捕当日の上申書や取調べテープなど数々の物品等からみても、寺尾判決が有罪の証拠としたものが、警察当局に因って私を犯人に仕立て上げるために見繕った品々、ねつ造された証拠や虚偽の自白調書であることが判明しています。しかし、検察は証拠開示に応じず、司法の姿勢は硬直しているかの如く動かないことに、憤懣やる方ない思いであり、諸外国から見ても日本の司法権における独立という論理は一歩も二歩も後退しています。このように、検察が不誠実な態度をとり続ける中にあって、今年も私の不当逮捕53カ年糾弾、再審実現総決起集会が、各地に於いて沢山の人たちに参加して頂けているものと思われ、例年の事乍ら皆様方の心強い支援に対し、衷心より感謝の意を表すものであります。
から泣き言めいた挨拶になりましたが、実際に寺尾判決やこれまでの棄却決定、あるいは他の冤罪事件の誤判を見るにつけ、公平であるべき筈の裁判官も、時の趨勢と先入意識に大きく左右され、警察、検察や、法務省との慣れ合いに因って行われているといっても過言でなく、従って現実を見詰めると、懐疑心は、排除出来ないだけに、支援者各位を前に警鐘を乱打せずにはいられないのです。
元より本来なら、「司法」というより機構に対して信頼と期待を寄せるべきなんでしょうけれども、残念乍ら、今の司法には全面的に胸襟を開ける程の信頼関係も期待も持てないのが実情乍らも、ただ一つ、今の私が救われるのは、そうした司法を変えようと皆様方の正義を求める力が微力な私の闘いに加護を与えて下さっていることであります。その意味で私の心は常に研ぎ澄まされ、絶える事無い不屈の闘志をもって司法に公正な裁判を求めて参られているといえましょう。どうか皆様も今後とも私の狭山再審闘争におけるご協力をはじめ、人権の尊重を基盤にして「差別と偏見」の克服に向けて連帯の輪を広げるために更なるご尽力を下さいますよう心から願っております。
最後にもう一度私の不退転の決意として、事実調べの実現を通して、再審開始、無罪判決という勝利の日まで、文字通りの「血の一滴」まで徹底的に闘い抜かんとする私の姿勢は不変であるということです。裁判所を人権を守るべき本来の姿に変えるのは部落の兄弟姉妹や、共闘の皆様方の力量次第であり、支援して下さる皆様方の運動を如何に盛り上げられるかに私の生死がかかっていることをご理解頂き、冤罪が晴れるまで力の限り声をあげ、支援の輪が拡大されますよう、お取り組み頂きたく、切にお願い申し上げ、何時に変わらぬ皆々様に、心から謝意を表して、私、石川一雄のご挨拶といたします。
2016年5月
不当逮捕53カ年糾弾、再審実現総決起集会 ご参加ご一同様
石川 一雄