全国の狭山再審闘争にご支援下さっている皆様、明けましておめでとうございます。私は仮出獄乍ら社会に出て25回目の正月を元気で迎えることができました。ただ残念無念の思いを禁じ得ないのは、常日頃から口癖のように言っていた二十歳が四回来るまでに冤罪が晴らせなかったことです。
しかし、昨年は、科学的な鑑定等に因って、私の無実と警察の証拠捏造が明らかになり、あとは裁判官の姿勢如何にかかっているので、今後は裁判官に対し、如何に真実に向き合わせるかに私の生死が左右されるといっても過言ではありません。二度と「今年こそ」「今度こそ」と言う言葉を出さないためにも、鑑定人、証人調べを行わせるべく、全力で闘う決意を心に秘めて新年の第一歩を踏み出した次第であります。
今月、私は80歳の大台を迎えますが、今は医学の進歩等によって100歳の時代といわれており、焦りはしません。
2020年は東京オリンピックの年と騒がれておりますが、振り返れば、1964年10月に開かれた東京オリンピックの時は、死刑囚として東京拘置所で拘禁中でありました。オリンピック開催直前の9月10日、東京高裁での、第2審の第1回公判で無実を訴えたのです。この時のオリンピックはテレビで観戦していましたが、印象に残っているのはマラソンでの“裸足のアベベ”選手でした。1960年のローマオリンピックの時、裸足で走り金メダルを取ったアベベ選手は東京オリンピックでは靴を履いていたように思いますが、颯爽と駆け抜け、驚愕したものでした。アベベ選手は家が貧しく小学校は1年くらいしか通っていないということであり、裸足で走り回っていたという生い立ちは、私を含め、私のムラの子どもたちと共通するところがありました。私たちは、押しなべて夏になると下駄の歯が減るということで、4月頃から10月頃までは裸足で過ごした当時は、砂利道ばかりでありましたが痛さを感じるのは1か月くらいで、慣れると足の裏は靴底の様に固くなってくるので、痛みも感じられなくなってくるのです。アベベ選手も日常生活において裸足であった由から別段驚くこともなかったかもしれませんが40キロ以上の距離を裸足で駆け抜けたということにただただ驚くばかりでした。
現在の私は目の調子が悪く、書くことや、読むことに難儀している以外は元気でおります。これからも皆様方にご協力いただき、再審裁判が実現するよう只管訴え活動に取り組んで参る所存であります。
勝機は真近であり、全精力を傾注して世論に訴え、なんとしても今年中に事実調べにむけての目途をつけ、再審勝利を勝ち取るべく闘いに邁進して参りますので、なにとぞ皆様も一層のご協力を賜りますよう心からお願い申し上げて、年頭に当たり、私の決意とさせていただきます。
狭山支援者ご一同様
2019年1月1日
石川 一雄