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部落解放同盟ガイド

声明

石川一雄さんの死去にあたって

 狭山事件で無実を訴えてきた石川一雄さん(86歳)が3月11日午後10時31分、入院先の狭山市内の病院で亡くなりました。石川一雄さんは、昨年の暮れに体調を崩して一時入院し、いったん自宅に戻りましたが、再び体調を崩し、3月7日に入院したあと、急に症状が悪化して帰らぬ人となりました。直接の死因は、誤嚥性肺炎でした。長い裁判闘争が次第に石川さんの身体を蝕んでいたのです。ようやく鑑定人尋問実現への展望が見えてきた矢先の石川一雄さんの突然の死を悲しむとともに、心から哀悼の意を表するものです。

 石川一雄さんは、1963年に起きた狭山事件で、誘拐殺人事件の犯人という汚名を着せられ、以来62年間にわたって不撓不屈の精神で闘い続けました。別件で逮捕されてから32年間、刑務所のなかから無実を訴え続け、また1994年12月に仮出獄で出所してからは、えん罪を晴らすためにその身を削りながら全国を駆け巡り、無実を訴えました。また、1996年12月に結婚した早智子さんも、石川一雄さんとともに、支援の輪を大きく拡げてきました。石川一雄さんの人生は、まさにえん罪を晴らすための、そして正義と真実を取り戻すための闘いそのものでした。

 狭山事件は、身代金を取りに現れた犯人を取り逃した警察が、その失態を取り繕うためにつくったえん罪事件です。また、被差別部落に対する予断と偏見のなかでつくられた部落差別にもとづくえん罪事件です。われわれ部落解放同盟は、60有余年にわたって石川一雄さんに汚名を着せてきた権力犯罪をきびしく弾劾してきました。

 残念ながら、石川一雄さんは帰らぬ人となりました。私たちは、石川一雄さんの闘魂と遺志を引き継ぎ、必ずや狭山再審闘争の勝利の日まで闘い続けることを誓うものです。


2025年3月12日
部落解放同盟中央執行委員長
西島 藤彦

 

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