「差別糾弾」とは何か
「何を、どう糾弾するか」(部落解放同盟中央本部編:1991年)より
糾弾は当然の権利だ
「部落差別を糾弾する」ということは、その差別にたいして、ただたんに抗議するとか腹を立てるとか、あるいは差別した人を「やっつける」「仕返しをする」ということではありません。もちろん、不当に差別されたのですから腹がたちます。怒りもわいてきます。「絶対に許せない」という気持ちにもかられます。差別をされても何とも思わないというのは、むしろ異常であると言わなければなりません。そんな人は、いないのではないでしょうか。
今から約70年前に結成された全国水平社は、差別にたいする糾弾闘争を解放運動の柱とし、差別との闘いの中心的な戦術としてきました。そしてその歴史と伝統は、わが部落解放同盟の運動にも引き継がれています。つまり、部落差別によって被害をうけている部落大衆を救い、基本的人権を守るための唯一の方法として「差別にたいする糾弾は、部落解放運動の生命線である」と位置づけているのです。
それには理由があります。部落差別による被害者を救う法律的な措置が不十分であり、法律的には部落大衆は、差別されても泣き寝入りをしいられるような形になっており、「糾弾」以外に差別された人を守る方法がないからです。われわれは、それは、まったく正当なことであると考えています。現に「差別された者が差別した者を糾弾することは当然の権利である」という裁判所の判断があいついで出されています。
1988年(昭和63)3月29日、兵庫県の八鹿高校差別教育糾弾闘争事件の控訴審裁判の判決のなかで大阪高等裁判所の石田裁判長は「この糾弾は、実定法上認められた権利ではないが、憲法第14条の平等の原理を実質的に実効あらしめる一種の自救行為として是認できる余地があるし、また、それは、差別に対する人間として耐え難い情念から発するものだけに、かなりの厳しさを帯有することも許されるものと考える……」と、糾弾について、これを認め、これまでの判決以上に踏み込んだ判断を示しています。
憲法第14条
すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
②華族その他の貴族の制度は、これを認めない。
③栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴わない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。
部落解放運動における糾弾とは、抗議であるとともに差別をした人に差別の間違いをさとらせ、部落の解放をめざす人間に変わっていくことを求める闘いであり、それは教育活動でもあるのです。さらに、その闘いを通じて被差別者である部落大衆自身が解放への自覚を高め、差別者と被差別者が、ともに人間解放への本当の意味での連帯を生み出していこうという積極的な意味ももっています。ですから部落解放運動における差別糾弾闘争は、差別する側の論理と差別される側の論理とのイデオロギー闘争であるともいえます。
「糾弾」にたいする考え方は、その時代ごとの「差別」のとらえ方の発展によって変わるものです。しかし、その本質は何ら変わってはおりません。
1922年(大正11)に全国水平社が創立されたとき、われわれの先輩たちは、その創立大会の決議のなかで「吾々に対し穢多及び特殊部落民等の言行によって侮辱の意志を表示したる時は徹底糾弾を為す」と決議しています。そして各地で相ついで起こった差別事件にたいして、激しい差別糾弾闘争を展開してきました。しかし、その当時は、どちらかといえば「差別」を言葉や行動によって表面化する「差別観念」「差別意識」のみとしてとらえる傾向がありました。つまり、差別を単なる「心の問題」「意識の問題」ととらえていく傾向が強く、差別にたいする怒りを爆発させ、それによって、差別をした人のみに反省を求めるということに陥りがちな不十分さもあったことは否定できません。
また、われわれの差別糾弾闘争を戦前の政府や官憲は「脅迫」とか「恐喝」または「暴力・暴行」といった名目で監視し、厳しく取り締まり、水平社の運動を徹底的に弾圧してきたという歴史的経過があります。糾弾闘争のために逮捕され、不当な判決をくだされて刑務所に送られた水平社の活動家は、毎年かなりの数にのぼっています。全国水平社が創立された直後の1926年(大正15)4月、時の政府は暴力的行為等処罰に関する法律を制定していますが、これは水平社の運動を取り締まるためにつくられた法律でもあったのです。
このために世間では、今日でもなお、"怒りの爆発"のような糾弾が続けられていると思い込んでいる人もありますが、過去60数年にわたって、われわれの差別にたいするとらえ方も糾弾の理論も発展し、差別の現象から差別の本質へと掘り下げ、人間の変革を求めるものへと変化しています。俗に言われる「つるしあげ」とか「報復」というものでは絶対ありません。それは著しい誤解と偏見であると言わなければなりません。時代ごとの「差別」のとらえ方の発展に応じて「糾弾」のあり方も変化しています。しかし、その根底に流れているものは、部落差別のために踏みにじられてきた部落大衆の、あらゆる市民的な権利を取り戻すということであり、人間解放への当たり前の、具体的な営みなのです。
しかし、最近になっても「糾弾」たいする人びとの偏見は改められてはおりません。むしろ、日本共産党や「全解連」による差別キャンペーンなどによる差別扇動によって、差別的な風潮は広がっています。その結果、さすがに公然と口に出しては言いませんが、「糾弾はこわい」と誤解し、偏見を持ちつづけている人は、かなりおります。
一方、われわれの差別糾弾闘争にたいする支配権力側の弾圧と攻撃も、戦前のような露骨な手段をとらないまでも、きわめて巧妙に、組織的・計画的に進められています。「地対協路線」がその典型だと言えます。
そこでは、「地対協基本問題検討部会報告」「地対協意見具申」「啓発推進指針」という装いをこらしてわが同盟の差別糾弾闘争を公然と攻撃し、「糾弾」そのものを否定し、さらには国民の間に「こわい」という意識を植えつけようとたくらみ、「同和」対策の打ち切りをちらつかせながら解放運動の弱体化をねらう意図が、はっきりと表われています。これは明らかに弾圧であり、攻撃であり、わが部落解放同盟の糾弾闘争にたいする公然たる挑戦であるといわなければなりません。
他方、われわれ同盟員は「差別事件を行政闘争へ発展させよう」という命題を正しく理解し、実践を行なわなければなりません。
今もなお、部落差別を残し、これを助長しているのは、封建的な差別意識を利用して、部落民に市民的権利(就職、教育の機会均等、交際・結婚、居住・移転の自由等)が行政的に完全に保障されていないからなのです。その結果、部落民の生活は、きわめて劣悪な状態に追いこまれ、それがまた、世の中の多くの人たちの差別意識を支えていることは、これまでの部落解放運動で実証されていることです。
このために、差別意識をなくしていくには、部落の生活環境や仕事や教育などを良くし、積極的に啓発をして人権意識を高めていくことが重要なのです。ですから、一つの差別事件を掘り下げ、それを糾弾していくなかから、その基本的解決に向けての課題を明らかにして行政闘争へと発展させていかなければならないのです。
なぜ「糾弾」をするのか
われわれは、なぜ「糾弾闘争」という手段をとるのでしょうか。
わが国の憲法は、その第11条、12条、13条、14条で「基本的人権」の尊重をうたい、「差別があってはならない」と規定しています。だからといって、法律があるから差別はなくなるというものではないということは当然のことです。法律だけで差別をなくすことはできません。とくに「差別はよくない」という法律はあっても、「差別をなくす」という法律はありません。これでは、法律の面でも差別をなくすことができないということは言うまでもありません。
この点について1965年(昭和40)に内閣の同和対策審議会が総理大臣に出した答申(「同対審答申」)の中では、次のように述べています。
「差別を受けた場合に、司法もしくは行政的擁護を受けようとしても、その道は十分に保障されていない。もし国家や公共団体が差別的な法令を制定し、あるいは差別的な強制措置を講じた場合には、憲法14条違反として直ちに無効とされるであろう。しかし私人については、差別行為があっても、労働基準法や、その他の労働関係のように特別の規定のある場合を除いては、『差別』それ自体を直接規制することはできない。」
法的な救済措置がとられる道は全然ないに等しいのです。法務局など国の人権擁護機関はありますが、しかし、これとても差別事件を調べる権限は任意でしかなく、人権侵害行為をやめさせる権限はありません。つまり、部落の大衆にとっては、差別にたいし、まったくの無防備状態におかれ、差別をやめさせ、差別したものに責任をとらせる法的援護や救済の保障は、ほとんどないのが現状です。
したがって、差別による人権侵害行為にたいして部落民は、みずから守る以外に方法はないのです。そのため差別と闘わなければならないというわけです。ですから、部落民にとっての差別糾弾は、きわめて正当な権利であり、自衛権でもあるのです。
だからといって、われわれの差別糾弾はたんなる怒りの爆発の場でも仕返しの場所でもありません。「差別をしないでくれ…」と哀願したり泣訴する場所でもありません。差別の不当さを理論的に明らかにし、その道理を説き、反省を求め、さらに差別事件の社会的背景も明らかにして人権問題にたいする理解を深め、そのうえで「お互いに人間らしく生きていこう」と共鳴しあい、ともに新しい行動を開始する場所でもあります。それは、まさに"不正にたいする堂々たる告発の行動"であると言えます。
差別による、たった一言の言葉や文字が原因で、部落の人びとは死に追いやられることもあります。愛する人の仲が裂かれて一生不幸にされることもあります。傷つき、悩み、苦しみ、絶望の淵に追い込まれている人も数かぎりなくあります。部落出身者であるという理由によって就職の道を閉ざされて失業したり、低収入で過酷な労働条件のもとで働かなければならない人もあります。非人間的な劣悪な環境のなかで生きていかなければならなぬ人もあります。今もなお、部落の大衆は厳しい差別の現実のなかにおかれています。
これを放置することは、絶対に許されません。だから、われわれは差別糾弾闘争で闘うのです。その「糾弾」をあきらめることは、逆に言えば差別の現実を放任することであり、断じてできるものではありません。
そのために差別糾弾闘争は部落解放運動の生命線でもあるのです。支配権力側の差別糾弾にたいする妨害や「糾弾」否定の考え方は、それらの差別の放置をねらうものであり、日共や「全解連」の差別キャンペーンは、この支配権力を激励し、部落差別を温存させ、国民の間に偏見を広める許しがたい行為であると言わなければなりません。
だからこそ、われわれは、「地対協路線」による糾弾の否定宣伝や糾弾闘争の妨害策動とも闘い、日共・「全解連」の差別キャンペーンも粉砕し、堂々と、かつ粛々と力強く差別糾弾闘争をすすめていかなければならないのです。
何をもって差別とし、「糾弾」するのか
わが同盟は、差別を自分勝手に判断して、なんでもかんでも「差別だ」と言って糾弾するのではないということは、言うまでもありません。では、どういう場合に糾弾するのでしょうか。それは次のように要約することができます。
①あきらかに差別意識をもって部落民の人権が侵害されたとき。
②差別行為(発言や執筆など)の結果として部落差別が拡大助長されたとき。
このうち①は、どちらかと言うと、面と向かって行なうケースが多く、②の場合は、自分は差別する意図はなかったけれども、結果として、差別意識を助長拡大させたというときです。
「露骨な差別落書き」事件や結婚差別事件、また『部落地名総鑑』事件などは①のケースで、「つい、うっかりして買った」というのではなく、会社の利害関係が大きく作用するなかで「部落民の採用を拒否する」という目的をもって購入したものです。だからこそ社会的に大きな影響をおよぼす差別事件としてわが同盟は糾弾闘争を展開したわけです。
また「…は特殊部落みたいですね」という言葉や文章が電波や出版物などを通じて人びとに差別意識を植えつけていく場合は、その影響力が大きいため、「糾弾」の対象にしています。比喩的に使った場合であっても差別意識を拡大して社会的に与える影響が大きいことを考慮して糾弾闘争を展開しているのです。
これまでの部落解放運動の血みどろの闘いによって「侮辱の意図をもって部落民の自尊心を傷つける」という差別事件は「差別落書き」の例を除いては少なくなってきていますが、客観的に差別を助長し拡大させる事件は後を絶ってはおりません。その多くは、「無意識のうちに差別してしまった」というものです。
人間は、無意識のうちに相手を傷つけたり、屈辱感をあたえるということは、よくあるものです。しかし、「無意識」であったとしても差別発言をしたり差別的文書を書くということは、その人間の意識のなかに差別意識が潜在化しており、それが利害関係が働いたときに自然に表面化してくるというものであって、「つい、うっかりしてしたのだから……」とすませるわけにはいきません。無意識だったから問題にしないのではなく、その背景を「糾弾」のなかで明らかにしなければならないのです。
差別意識が表に出てきたときに、その原因を明らかにして間違いを正さなければ、再び「無意識による差別的言動」をくりかえし、差別のバラまきを招くことは目に見えています。
「糾弾」の具体的な方法
差別糾弾闘争はたんなる抗議行動ではありません。もちろん、糾弾会は差別をしたものと直接顔を向きあわすのですから、当然のこととして怒りがこみあげてきます。しかし、怒りのはらし場所に終わってしまっては、正しい糾弾を進めることはできません。部落大衆が組織の方針にそって、力強く、堂々と進めなければならないことは言うまでもありませんが、具体的に差別糾弾闘争を進めるにあたっては、大きく分けて、次のようなことを綿密にしなければなりません。
差別事象の調査と事実確認を必ずする
①まず部落大衆の個人やグループが差別的な行為や言動に直面したときには、その場で正しく事実確認をすることが大切です。そして、そのことを部落解放同盟の組織(支部または県連など)に訴え出ると組織としての調査がはじまります。差別事件が発生し、組織的に報告されてきたら、その組織は小人数で、さらに調査を行ないます。そして必ず公共的な場所を設定し、できるかぎり第三者(行政関係や人権擁護委員など)の立会いのもとで、事件関係者との間で正式な事実確認をする必要があります。これを「確認会」と呼んでいます。
この確認会は事件の全体像を明らかにし、差別事件の本質を浮きぼりにさせるための、最も基本的な調査活動です。つまり、この調査・確認を通じて差別事件の性格と、差別をした相手の人が、いかなる社会的立場に立っており、いかなる考え方の持ち主であるかということを明らかにすることができるわけです。
この確認会で、まぎれもなく差別ではないと明らかになれば、確認会を終了しなければなりません。そういう意味では、われわれの確認会は「○○差別事件確認会」と称するのではなく、「○○事件確認会」と称するべきです。厳密に言えば、確認会の段階で差別であるかどうかを決定するものだからです。
②また確認会で忘れてはならないことは、こちら側の調査結果を相手に押しつけるのではなく、あらかじめ用意した調査・確認予定事項にそって「いつ、どこで、誰が、誰にたいして、どうしたか……」といった点について、それぞれの事件の性格や状況に応じて具体的事実を正確に確認することです。
この事実確認を、しっかりせず、事件の性格も浮きぼりにしない段階で「確認会」に移ると、多くの場合、居直りや、われわれの差別糾弾行為から逃げるという結果を招きやすいものです。「差別者が居直ったり逃亡すれば、糾弾会での部落大衆の怒りが噴き出て、よけい盛りあがるから……」ということであってはなりません。われわれの差別糾弾行為にたいして差別者や事件の関係者からの妨害を許すような状況は絶対につくらないことです。したがって、この調査と確認は、冷静に、かつ綿密に行ない、とくに相手の自発的発言を尊重して続けられなければなりません。確認会は抗議の場ではないからです。
③「確認会は公開の場所で大衆的に行なう」と、よく言われますが、公開の場で行なうことは当然のことであり、事実の正確さと調査の公平さを期するためにも絶対に重要なことです。そうしないと不必要な批判を招くことにもなりかねません。
もう一つ重要なことは、事実確認会と糾弾会とを混同し、事実確認会に大衆動員をかけて、「差別が明らかになったから糾弾会に切りかえる」というところもないわけではありませんが、このやり方は好ましいことではありません。というのは、それでは「事件解決主義」的な状況をつくりだし、事件の性格を分析して糾弾要綱をつくり、大衆的な意志統一をはかるという糾弾闘争の最も大切な部分が省略されてしまうからです。
したがって、事実確認会が終わったら、その確認会で明らかになった点だけでなく、明らかにできなかった不明の点も整理・分析しなければなりません。差別事件の性格によっては、出席は関係者にしぼって確認会を開くことも必要です。たとえば、結婚をめぐる差別事件の場合は、その一つの例です。
差別事件の性格をつかみ、その性格によって糾弾の力点を変える
①事実確認会がすんだら、その他の資料も含めて差別事件の全容を客観的に正しくつかみ、差別事件の性格を明らかにする必要があります。
たとえば露骨な差別発言であるか、または比喩としての差別発言であるか、などです。また、どのような社会的立場にある人が起こした事件であるかを区別することも大切です。たとえば行政関係者なのか、企業関係者なのか、一般市民なのか、また差別落書き事件のように誰が書いたのかわからない差別事件なのか、などです。
さらに、どのような条件のもとで事件が発生したかといったことも含めて、その時どきの分析が重要になってきます。
当然のこととして、差別事件の中身がどういうものであるかとか、誰によって引き起こされた事件なのか、どのような条件のもとで起こった差別事件であるかを十分に分析することによって「糾弾」の力点のおき方が変わってきます。
労働者が職場で差別事件を起こした場合は、その労働者に差別行為の差別性を理解させるだけではなく、「自分も実は差別されているのだ」ということを階級的視点から説明して理解させ、最終的には差別した労働者の意識を変革させ、みずからの職場の中で部落解放運動と連帯し、協力させていくことが必要です。結婚差別事件では非常に複雑な面や被差別者本人の将来への影響ということもありますので、慎重に対処しなければなりません。一面的な見方をして、ただ「差別はよくない」と正面から建て前を並べて糾弾していくと、派生的な難しい問題がからんでくることも十分に予想されます。
『部落地名総鑑』をめぐる差別事件でみられたような企業の差別事件の場合は、組織の業務上の必要から引き起こされた事件だけに、そう簡単に、直接の購入者だけの追及に終わることにはなりにくいものです。
この場合の糾弾は、まず差別行為の実行者たちにたいする糾弾からはじまり、そのうえで企業の差別体質を明確にさせ、その変革も迫っていくということになります。そして最終的には差別行為をした人だけでなく、その企業全体の変革を求め、労組の協力も得て、事件に直接関係のない全従業員も含めて抜本的な部落問題の研修の実施を求め、企業の社会的責任を明らかにしながらわれわれの部落解放運動への連帯と協力を要請していく闘いを、ねばり強く続けなければなりません。
②日共などの差別キャンペーンによって悪質な差別事件が起こったときは、その差別者に怒りをぶつけるだけではなく、その周辺から差別者の行為を絶対に容認させない雰囲気をつくり出し、差別者を孤立させるような状態をつくることも大切です。その差別者が糾弾会への出席を要請しても拒否したような場合は、差別事件の全容と問題点などを整理した「糾弾要綱」を社会的に公表し、行政の指導を先行させたりして差別者にたいする批判の世論を巻き起こすなかで反省を求め、社会的責任をとらせるという方法もあります。
こうした差別事件は最近とくに多くなっていますが、差別事件を起こしながら反省の色を見せずに開き直るという態度については、部落大衆の怒りが大きく高まるものです。
このような事件の場合には、行政や地方議会に働きかけ、さらには人権擁護機関の関係者や差別者が住む町内会などにも真相を訴えて差別者の説得をゆだねることも一つの方法です。それでもなお開き直るようなら説得にかかわった人びとの怒りを社会的に公表することによって差別者を孤立させ、反省を求めるきっかけになることもあります。
つまり、われわれの差別糾弾闘争の進め方いかんによっては、一人の差別者がいることによって、これに抗議し、われわれの運動を支援していくれる百人、千人の部落解放運動への理解者や協力者をつくり出していくことも可能なのです。
③また差別事件の性格によっては、部落解放同盟だけではなく、どのような団体と共闘の関係をつくっていくかを考え、民主団体や労働団体と連帯・共闘して差別糾弾闘争を展開していくことは、「事件解決主義」に陥ることを防ぎ、今後の解放運動の輪を、さらに大きくしていくことにもなります。
必ず「糾弾要綱」を作成し、糾弾の目的や方向を明らかにしていこう
①差別糾弾闘争を進めるためには必ず「糾弾要綱」をつくらなければなりません。この「糾弾要綱」は、差別事件を引き起こした人の、いわゆる、"差別犯罪"の全体像と問題点を文章によって整理し、立証するものだからです。そのためには、事実確認会などで明らかになった点はもちろんのこと、不明確な点も明示し、この差別事件のどこが問題であるかをはっきりさせる必要があります。
ごく一部であるとしても、これまでの差別糾弾闘争においては、「問題点や方向性は、糾弾闘争をやっているうちに出てくるわ」とか「文章にするのは面倒くさいから……」「急ぐから……」などとの理由から「糾弾要綱」をつくらずに糾弾会が開かれることがありました。このようなことでは糾弾会に参加した部落大衆に「糾弾」の方向を示せないばかりか、差別事件を起こした本人にも、何が問題であり、どうすればいいのかといった一貫した「糾弾」がのぞめないからです。そして差別糾弾闘争を、目的も展望もなしに無責任な方向へ追いやってしまうことにもなりかねないからです。
また、糾弾闘争が、わが同盟の重要な闘いであり、解放理論の最高水準をもって闘わなければならないにもかかわらず、その検証も十分できないことになります。「糾弾要綱」は、どんなことがあっても作らなければなりません。それは糾弾闘争の柱だからです。
②その「糾弾要綱」では、まず事件の事実経過を克明に明らかにし、事件の問題点を分析したうえで、この事件を通じて何を明らかにし、何を達成するのか、どうすればいいのかなどを中心項目として整理します。とりわけ、「糾弾要綱」では、解放理論の確かな裏づけをもって差別糾弾闘争の目標をはっきりと明記しなければなりません。
この「糾弾要綱」づくりにあたっては個人が自分の考え方を書くのではなく、事前の調査や確認会で明らかになった具体的事実を土台にして大衆的に徹底的に討議し、これを分析し、整理して作りあげられたものでなければなりません。そうすることによって差別事件と差別糾弾闘争にたいする大衆の共通認識が生まれ、一貫した「正しい糾弾」が進められることになるのです。それはまた、差別事件を引き起こした人に"差別犯罪"についての理解と認識をも深めさせることにもなるからです。
糾弾における留意事項
①糾弾会に入る前に組織の指導者間の意志統一をしておかなければなりません。糾弾会に参加した部落大衆と共闘関係の人たちにたいしても糾弾闘争全体のスケジュールとか「糾弾」の目的などをあらかじめ説明し、われわれの側の意志統一をしておくことが必要です。
②糾弾会には"指導者(進行係または司会者)"をたてて糾弾会全体の進行を円滑にさせ、糾弾会を正しい方向に展開できるようにしなければなりません。たとえば、糾弾会がこじれた場合や論議が高まって長時間になる状況がみえてきた場合には「どの点を追求していくか」「きょうの糾弾会では、どこまでやって打ち切るか、続けるか」「その日の糾弾会ではどこを重点的に問題にするか」などについて参加者全員がわかるように説明し、組織的な糾弾が展開されるよう考慮することが大切です。
また、糾弾会を指導する幹部は、いかなることがあっても差別者にたいする"感情的な怒り"におぼれることなく、その状況を冷静に判断し、発言の内容を分析して事態に対処していかなければなりません。とくに、つねに糾弾闘争における次の段階をいかに展開するかということを考えていく必要があります。
③糾弾会は差別事件を引き起こした差別者を糾弾する場所ではありますが、差別者の言い分も十分に聞くべきです。それは、ただたんに、世間一般に言われているように「差別者の人権も守れ」という意味ではありません。
相手の言い分を聞かずに一方的に追求すると差別者は言い逃れをはじめたり、差別的言動そのものを否定したりすることもあります。また逆に「いくら言いわけをして抵抗してもダメだ」と思い込み、口先だけで「すみませんでした」「悪うございました」「反省しています」「筋道を理解した」と言えば糾弾は終わるだろうと考える人も出てきます。
したがって、差別者の言いわけも十分に聞き、その発言のなかで差別者なりの"差別の論理"を展開させることによって差別者の意図を明確にし、差別者のおかれている社会的立場も明らかにさせることも考えておかなければなりません。
④糾弾会には揶揄や恫喝はいっさい不要です。これでは正しい「糾弾」ができるものではありません。水平社が部落解放運動にたちあがった初期のころには、「ヨツ」「エッタ」「チョウリンボウ」「特殊部落」など"差別はやり放題"といった世相がありました。この時代には、部落大衆が、その差別に抗議しても「エタにエタと言って何が悪いのか」と開き直り、誰もが部落問題など真剣に考えませんでした。
しかし、今日、われわれは「糾弾は教育である」と位置づけ、差別意識をなくすことによって人間的な変革を求める闘いであると位置づけています。それゆえに差別者の論理と我々の論理との闘いであり、イデオロギー闘争なのです。
そういう糾弾においては、暴力や揶揄・恫喝によってはイデオロギー闘争に勝てるはずもありませんし、相手に人間的な変革を求めることも不可能です。糾弾は冷静に、組織的に整然と行なわなければなりません。
揶揄や恫喝は、どうして飛び出してくるのか――その背景を考えると、差別者を説得する理論と力量が不足しているか、理論はもっているが説得する意欲が消失している時に揶揄や恫喝という現象になっているということに気づかされます。簡単に言えば、相手を説き伏せるための自分自身の力が不足しているということの証明でもあるのです。
⑤糾弾会では追及する側と追及される側との意見が食い違い、論議がすれ違いとなって、時には膠着状態になることがあります。そうした場合には糾弾会を一時中止して休憩に入るのも一つの方法です。この間に今後の方向を協議するとともに、差別事件を起こした相手にたいしては、同席している行政機関の人などから、これまでの論議の整理と指導をするように要請すると糾弾会は円滑にすすむこともあります。
⑥糾弾会が閉会されたからといって、そのまま散会してしまってはなりません。参加者には、そのまま残ってもらい、この日の糾弾会の議論を整理するとともに感想や意見を求め、第2回・第3回と糾弾会が引き続き開かれるときは次回への参考にして生かしていくことが重要です。
怒りの噴出は当然のことである
「糾弾」には揶揄・恫喝・ヤジなどは不必要だからといっても、強い怒りが噴き出さなければならないということは当然のことです。怒りのない糾弾会はあり得ないとさえ言ってもいいでしょう。
差別は加害者にとっては些細なことであると思われることがあっても、その被害者にとっては耐え難い激痛の思いをするものです。差別する側が、たとえ冗談であったとしても、差別される側にとっては、どれだけ痛いか、精神的な打撃をうけるか、悩み苦しむか――。
そのことは、直接的に被差別の体験をもっているわれわれは誰でも知っていることです。それが故意による悪意に満ちたものであれば抑え難い怒りにかられるものです。
したがって、その具体的事実が「確認会」の場所や事前調査を通じて確認され、糾弾の場に移ったならば、差別にたいする激しい怒りが噴出することは当然すぎるほど当然のことであって、むしろ、差別されながらも怒りの感情がわいてこないようでは「差別と闘う」という姿勢は生まれてこないでしょう。問題は、その怒りを、どのように噴出させ、新しい方向を見出せるかという方法の問題です。
まず、個人的な関係のなかで起こった差別事件であっても、差別事件ですから、部落民全体の怒りにしなければなりません。しかも、その差別と闘うためには集団による力に発展させなければなりません。権力を持たない弱い立場のわれわれは、集団的行為を抜きにしては自分たちを守ることはできないからです。
とくに戦うべき相手は「差別意識」という社会意識であり、それは個人のみの力によっては、どうにもならないものだからです。差別する社会意識にたいしては、差別を許さない集団となって闘わねば被差別者の人権は守ることはできません。
集団による糾弾は力を持ちます。緊張感もあります。しかも、この集団は差別にたいして激しい怒りを持っている人たちの集まりなのですから、差別者の側から見れば「怖い」という意識がはたらくのは当然のことです。根強い差別意識を改めさせるためには一種の精神的なプレッシャー(圧迫感)がなければ人間の意識は変わらないものであり、怒りに満ちた緊張感は糾弾会には欠かせないものであることは言うまでもありません。
しかし、ここで心しなければならないことは、その怒りを単なるヤジや恫喝によって噴出させるのではなく、怒りに満ちながらも、冷静な理論によって、具体的事実にもとづいて相手の意識の間違いを論破して差別の本質を明らかにし、理論的に闘わなければ意識の変革にはつながってこないということです。「怖い」というのは、糾弾によって「みずからの差別意識が、ひとつひとつ糾明されていく怖さ」にしなければならないということです。
同時に、単なる差別意識の究明にとどまらず、反省と自己変革を求め、今後の方向も明らかにしていくことによって差別者を理論的に納得させなければなりません。そのためには、われわれの側の事前の学習や理論的な整理、組織全体としての意志統一ということも必要になってきます。
とくに、単なる理屈に流されることなく、われわれの具体的な被差別体験や、これを克服するための実践例を示して訴えなければなりません。個人的な抗議や理論なしの糾弾は、時としては無秩序・無統制の行為を誘発し、ときには混乱を招き、事件解決主義に陥りやすいという危険性もあります。
また、わが同盟の組織内の一部の人たちの中には、差別事件の悪質さや差別にたいする怒りの激しさから「徹底糾弾をやろう」と言う人もあります。もちろん、これは「相手が反省するまで気をゆるめずに徹底的に糾弾をしていかなければならない」「差別事件をあいまいにすましてはならない」という意図によるものですが、この「徹底的糾弾」という表現は、われわれの意図の反して、時としては誤解を招くこともあります。
われわれは、かつて全国水平社の創立大会が決めた「徹底糾弾」をそのまま認めているものではありません。当然のことですが70年近い歴史の流れの中で糾弾の理論も形式も飛躍的に発展しています。当時のように差別者個人の差別観念だけを問題にして怒りをぶちまけているわけでもありません。
ところが、わが同盟の組織内から「徹底糾弾をする」という声があがると、世間の高齢者のなかには全国水平社時代の「徹底糾弾」を想起して無用な恐怖感をあおり立てようとする動きもあります。そのデマ宣伝の先頭に立っているのが日共や「全解連」です。
彼らは「徹底糾弾」という言葉の揚げ足をとって、わが同盟攻撃の差別キャンペーンに利用し「糾弾は暴力だ」という彼らの口実の裏付けにしようとたくらんでいる事実もあるからです。「地対協路線」もまた、われわれの糾弾闘争にたいする偏見の拡大に、この「徹底糾弾」という言葉を悪用しています。
われわれが考えている糾弾は、強い怒りを持ちながらも、上部機関の指導のもとに、理論的に粛々と差別の実態を明らかにして差別者自身に反省を求め、人間的な変革を求めていく教育の場であり、同時に部落大衆の自覚を高めていく学習の場でもあるということを決して忘れてはなりません。
二つ以上の自治体にまたがる差別事件の糾弾を進める場合は――
社会的に重要な差別事件は中央本部と協議し、取り組みを進めなければなりません。都府県がまたがる差別事件は、中央本部も入って調整・連携し、ともに取り組み、出版・マスコミ・宗教関係の事件は全国的になりますので、中央本部が中心となって糾弾闘争を展開します。
また差別事件の性格によっては企業の側だけはなく、労働組合をも含めて糾弾しなければならない場合もあります。会社ぐるみの差別事件のようなケースでは労使双方とも糾弾闘争の対象となることは言うまでもありません。
だからと言って労働組合を敵視するのではなく、部落解放運動と連帯する仲間として共同闘争を組まねばならないということも、よく出てきます。
糾弾会後の対応
真相報告会を必ず開こう
糾弾会が終わり、一定の方向が決定した段階では、今後の課題と方向を明らかにするためにも差別事件真相報告会を開くことが大切です。これは、わが同盟に結集する部落の大衆だけではなく、事件の関係者や各種の共闘団体の人びとの参加も求め、事件にたいする共通認識を確認するとともに、今後の運動への連帯と団結を固めることが必要だからです。
今日のように「地対協路線」にそって部落解放運動にたいする攻撃が強まり、糾弾闘争そのものをも否定しようとしている支配権力側と対決していくうえでは、差別事件の真相と差別糾弾闘争の成果を明らかにしていくことは絶対に必要なことです。
行政責任で啓発を強化させる
差別事件の発生は、そのほとんどが住民啓発の弱さに原因があるといえます。ですから、差別事件通じて行政に抜本的な住民啓発を強化させることが必要です。とりわけ、差別事件が起こったときに、当事者間の事実確認会に出席させたり、糾弾会が開かれるまでに、あらかじめ行政の責任において差別事件を起こした人の啓発をさせることも重要です。
差別事件が起こったら、わが同盟の糾弾会が開かれるまで差別者を放置したままの状況がありますが、この間、行政の責任において差別者にたいする指導と啓発をさせ、差別者の差別行為を明らかにし、反省点をより鮮明にさせておくことも必要です。このことは行政が差別者にたいして、どの程度の啓発ができるかを計る尺度ともなるはずです。行政の力によって差別者の反省を求め、意識変革ができないようでは、そこにおける住民啓発も欠陥だらけの弱さがあるということを証明することになるからです。
いずれにしても、差別事件を通じて行政責任を追及し、抜本的な啓発強化を求めていかなければなりません。自治体によっては「糾弾」が終わると、後は放ったらかしの状態のところがよくあります。
「糾弾」を通じて差別者がいくら反省しても、「糾弾会」以降の具体的な実践がなければ何にもなりません。したがって「糾弾会が終わったから、差別事件は、もう一件落着だ」というのではなく、その後が大切なのです。いわゆるアフターケアが必要です。その責任は行政にあるはずです。
「エセ同和団体」に食い入るスキをあたえてはならない
われわれの糾弾闘争をめぐって、今日、とくに注意しなければならないのは「エセ同和団体」の横行です。
「全国同和対策推進会」「同和対策新風会」「新日本同和会」など、いわゆる「エセ同和団体」は300以上にのぼるとも言われております。彼らのなかには、差別事件を起こしてわが部落解放同盟から糾弾をうけている企業などに巧妙な手口を使って近づき、巨額の寄付金や莫大な金額にのぼる「広告料」を巻きあげたり、高価な本を売りつけ、巨額の寄付金を強要するという事件を各地で起こしているものもあります。
これらの「エセ同和団体」は、部落大衆の生活を向上させ、部落差別をなくそうとする部落解放運動とは縁もゆかりもないものであり、部落解放運動に混乱を持ち込み、部落にたいする偏見を広め、結果的には企業や一般国民から部落解放同盟の社会的信用を失墜させようというものです。政府や地対協は、ひそかに、それを狙っており、「エセ同和団体」の脱線的不法行為とわが同盟を故意に結びつけようという虚偽の誇大宣伝をひんぱんに続けています。これは権力の策謀と言うべきでしょう。
このような「エセ同和団体」に食い入る余地をあたえないためにも、「部落解放同盟は差別事件を金銭によって解決することは絶対にしない」ということを、企業にたいしても大衆的にも明らかにしていかなければなりません。「差別事件は、糾弾を通じて解決されるものである」ということを徹底し、「部落問題の真の理解なくして差別事件の解決はないのだ」ということを知ってもらうことが大切です。
糾弾の手順と経過
以上が差別糾弾闘争の具体的な進め方と、それを進めるうえでの主な留意点ですが、これを簡略化して示すと次のような手順と経過を踏むことになります。
① 差別事象との遭遇(発見または体験)
◇その場での確認
◇組織への訴え・通報・報告
◇組織による調査活動
② 確認会
◇公共的な場所で開く
◇原則的に公開の場所でおこなう
◇第三者の立会いを求める
◇当事者から事実を確認する(結婚差別事件は慎重に…)
③ 糾弾会
◇差別事件の分析と方向性の決定
◇糾弾要綱の作成
◇指揮者の意志統一
◇進行係の選定
◇糾弾会を開く(差別者の言い分も十分に聞く。ビデオで記録も)
◇共闘団体との連帯
④ 糾弾後の取り組み
◇糾弾会の総括
◇行政責任で差別者の啓発を
◇行政闘争の展開
◇自主的な学習会を開く
◇住民および組織内部の啓発の強化を求める
◇事件の真相報告会を開く
◇「エセ同和団体」介入への監視
◇差別を許さぬ組織拡大
◇解放運動との連帯強化
差別糾弾闘争を取り巻く状況
わが部落解放同盟の運動は、年ごとに、そして日ごとに大きく発展していますが、われわれを取り巻く状況は、けっして楽観できるものではありません。支配権力側は必死になって部落解放運動の圧殺と弱体化、体制内化をねらって部落解放運動を破壊しようとしているからです。
世論や各界各層の厳しい批判をうけた地対協の「部会報告」をはじめとする地対協の「意見具申」、総務庁の「啓発推進指針」は、まさに、その一環として出されてきたものであり、とくに解放運動の生命線である差別糾弾闘争を否定し、部落解放同盟の活動を封じ込めようと躍起になっています。彼らは、巧みな策謀をめぐらし、"お上の威光"をちらつかせながら、意識の遅れている人びとを煽動して「部落民は怖い」「部落解放同盟は、むちゃくちゃなことをする」と悪意の宣伝をくりかえしています。
そして、差別意識と偏見をかき立てる一方で「確認・糾弾会には参加する必要はない」「差別事件の相談ごとは法務省の人権擁護機関がする」などと主張して、「差別糾弾」そのものを否定しようと具体的に動き出しているのです。タマス社の「卓球レポート差別事件」にたいする法務省の介入は、まさしく、その具体的行動の一つであったわけです。
部落解放運動は今日、部落の大衆だけを視野にいれるのではなく、アイヌの人びとや在日韓国・朝鮮人、障害をもった人たち、さらには婦人や労働団体など多くの民主団体と提携して幅広い人権闘争を繰りひろげています。国際的にも「反差別国際運動」といった反差別国際組織を結成し、これを核にして世界の多くの国々の被差別団体とも連帯し、全人類的規模の運動に発展しようとしています。
しかし、これらの人権闘争が広がれば広がるほど、高まれば高まるほど、差別をそのまま残しておきたい人びとは懸命になって抵抗し、妨害し、攻撃をかけてきます。彼らは差別が残っていなければ困るからです。日本の支配層も、その例外ではありません。