古地図・古絵図刊行および展示に対する基本的考え方について
部落解放同盟中央本部
部落解放同盟は、10月20日にひらいた第60期第2回中央委員会で、(株)東京美術刊行の『五街道分間延絵図』について経過報告をおこなうとともに、中央本部としての「古地図・古絵図刊行および展示に対する基本的考え方について」を示し、承認した。全文を掲載する。
はじめに―『五街道分間延絵図』刊行にいたる経過―
わが同盟は、本年5月、(株)東京美術より『五街道分間延絵図』刊行に関わって、以下のような報告を受けた。
「『五街道分間延絵図』は、東京国立博物館所蔵の原本絵図を縮小した『絵図編』と解説・現況写真で編集した『解説編』の2冊をセットとして構成し、1976年11月より刊行開始、2002年2月に全102巻(104冊)を完結したものです。
原本絵図の中に、街道沿いや周辺に存在する近世被差別部落および被差別身分名が表記されています。弊社は、本絵図が歴史資料であることを考慮し、主要街道の『解説編』第1巻に『部落と街道』(原田伴彦論文)を付し、復刻絵図に抹消の手を加える事なく刊行を開始しました。
1984年に浦和人権擁護委員会・東京法務局・法務省人権擁護局から提起があって以降、本書に付属する『月報』に『五街道分間延絵図刊行のこころ』として弊社の見解を掲載、併せて上記『解説編』に原田論文(『部落と街道』)を掲載し、これ以後刊行のすべての巻に載せるようにしました。」(2003年7月 東京美術「報告書」より)
このような経緯を辿って、2002年2月に完結した本書について、東京美術は、国公立図書館や大学図書館、さらには古絵図に掲載されている社寺などに、電話による販売活動をすすめてきた。そうした中で、この古絵図に掲載されている寺院(以下A寺)の住職から「自坊(寺)が○村之内 穢多村 □□寺と記載されているのは差別表記であり、人権侵害である」との内容証明付封書が届けられた。以後、東京美術と、このA寺住職および関係者との間で協議が続けられる一方、東京美術からわが同盟にも報告があり、この間、東京美術関係者との話し合いをすすめてきた。
今回、東京美術との話し合いおよび東京美術からの「報告書」を踏まえ、わが同盟として、古地図・古絵図の刊行および展示についての見解を明らかにし、今後の幅広い論議への呼びかけとしていきたい。
古地図・古絵図にかかわる同盟の取り組み経緯について
わが同盟の古地図刊行および展示などに対する取り組みは、1968年の三越百貨店の絵図販売問題や『福岡市史』別巻問題などがあり、当時は、「誰が見ても現在の被差別部落と重なり、部落に対する差別意識を呼びさます」「現実に社会意識としての差別意識が根強く存在している中での販売は問題である」として、糾弾闘争がすすめられていた。つまり、この段階では、古地図・古絵図の展示および販売自体が差別を拡大再生産するものであるとして、結果として販売中止ないしは回収措置を求めていたのである。
こうして展示および販売を行った企業などでは、社内研修の実施などの成果はあったものの、これ以降、古地図・古絵図の所蔵機関が史料の存在自体を隠したり、問題箇所を抹消するなどの事態も一方で起きるようになった。このことについては、事の本質についての論議がないままの「当面の措置」ということでしかなかったのだが、そのことにより生み出された結果について、わが同盟はいま率直に総括し、反省しなければならないと考えている。
その後、わが同盟は「差別語についてのわれわれの見解」(中央本部書記局/1975年)を出し、差別語問題と表現の自由についての基本的な考え方を示すとともに、差別糾弾闘争のあり方を論議、深化させてきた。その論議を踏まえて、『差別表現と糾弾』1988年)を出版し、文学作品や映画・演劇、マスコミ・出版などのさまざまな分野における差別表現についての見解を明らかにしてもきた。
とくに、歴史研究・史料における古地図・古絵図などの取り扱いについては、被差別部落の地名や身分呼称が出てくること自体を問題視しているのではないこと。またそうした言葉を消したり、伏せ字にしたり、その前後の文章を削除することを求めているわけではないこと、などを明らかにしている。その上で、部落問題の場合、歴史的な史料といえども、その扱い方によっては、現実にある差別意識や、予断と偏見と安易に結びつくところに、とくに配慮をしなければならないと指摘してきたのである。
つまり、学術的な利用も含めて、相当な配慮をした上で協議しながら、地名などの取り扱いを決めていくべきであると提起しているのである。
こうした基本的な考え方にもとづいて、1990年に新潟県で「穢多町」と記載のある近代初頭の絵図が所蔵機関によって撤去された問題では、同盟として「充分な解説を付けた上で展示する方が望ましい」との見解を出している。また、1994年に同じ新潟県で起きた同様の問題に対しても、「隠すだけでは何の解決にもならない。むしろ穢多という言葉に込められた差別の歴史を啓発すべきである」との見解を明らかにしている。
また、近年では、2001年に大阪人権博物館の特別展「絵図から見た被差別民」で、「穢多村」記載に直接関係する21支部・協議会と、中央本部や該当する大阪・京都・兵庫の各府県連が全面的に協力し、一部の反対意見や消極的意見を持つ支部・協議会にも協力を依頼するとともに、わが同盟の基本的見解をもとにした学習会の開催などに精力的に取り組み、この特別展を成功させてきたのである。
このように、わが同盟としては、今回の『五街道分間延絵図』刊行に際しても、こうした基本的な考え方にもとづき、それが歴史的史料である限り、墨塗りやコンピューター処理による削除はすべきでなく、東京美術の「配慮」も、結果的に不十分な点があったにせよ、解説を付けるなどの最低限の取り扱いをしてきたことを評価してきた。
しかし、当該の古絵図には実際、153か所もの「穢多村」記載があり、これを差別的意図のもとに利用しようとする人間がいる可能性も否定できず、A寺の抗議もまたそうしたことを憂慮してのことであるなら、今後の課題として十分協議していかなければならないと考えている。とはいえ、1960年代の「販売中止要求」「回収要求」などの明らかに誤った取り組みの総括、反省を踏まえ、「差別される可能性という幻影の前に縮こまっているよりは、みずから打って出て反差別の可能性を広げ深めていこう」という基本的な考え方を再度確認し、今後の課題について取り組んでいきたい。
今後の取り組み課題について
部落差別撤廃にむけての論議の中で「部落差別とは何か」「部落差別はなぜ、どのように起こってきたのか」という問題の解明は何としても不可欠であり、かつ前提ともなるべきものである。より具体的には、歴史学をはじめ、あらゆる学問分野での研究活動が求められるが、わが同盟は、今回の古絵図刊行による研究活動の前進を期待するとともに、同様の作業についての協力を最大限すすめていくものである。
さらに、こうした部落史研究は近年ますます発展してきているが、歴史史料を所持していても、さまざまな理由からその公開を躊躇している場合も少なくないと思われる。当然、そうした要因は極力排除されることが望ましいが、今回の『五街道分間延絵図』刊行や大阪人権博物館特別展の取り組みを踏まえ、関係史料・資料の公開など、その取り扱いに関わって、関係機関との協議をすすめ、公開の度をより高めていく方策を確立していくことが必要である。具体的には、今回の『五街道分間延絵図』について、153か所の「穢多村」に関わって、東京美術および関係機関とも協力しながら研究会を組織し、最新の研究成果を踏まえた解説文を作成し、今後の研究活動に寄与していく取り組みをすすめていきたい。
そのためにも、今回の『五街道分間延絵図』刊行についての基本的な考え方にもとづいて、関係都府県連や古絵図に記載されている村々を中心にした協力態勢を作るとともに、その研究成果が当該地域のアイデンティティ形成を深く紡ぎ出すことのできる学習会開催などの取り組みをすすめていくことが重要であると考える。
2003年10月20日
部落解放同盟中央本部
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